新作「のけもの」の原作、ボーヴ「のけ者」のあらすじと戯曲のあらすじご紹介
原作を採り上げて劇作を行う「原作シリーズ」。一部では原作破壊者として知られているナントカ世代であり、そういった指摘には常に『そうではない』と小鼻をうごめかしながら否定してきたところですが、今作は過去に例を見ないほどに原作に近いのではないかと思っています。
いえ、そもそも人物や場面が共通しておらず、いわゆる「小説の舞台化」などとはおよそ程遠いのですが、それでもなお、原作の骨格は完全に残っていると言えるでしょう。(長い記事です)
小説「のけ者」のあらすじ
概観としては日本経済新聞の書評に預けますが、まず、エマニュエル・ボーヴは本名はエマニュエル・ボボヴニコフと言い、名前から推測されるようにロシア人の父とルクセンブルク人の母(当然、両者ともフランス語は不十分)の間に生まれた、という時点でおよそ島国生まれ・島国育ち、空気を読む奴だいたい多目の環境に育った人間には既にややこしいのですが、1920年代から40年代にかけて活躍(?)したフランスの小説家です。
その出自が手伝ったのかどうかは分かりませんが、作風は、まぁ「ネクラ」です。救いのない話を書かせれば少なくとも20世紀中5本の指には入るのではないかと思っています。
なお、この「のけ者」等の作品をあわせて“第1回フィギエール賞”という高額賞金がウリの賞を受賞しています。ただし、第2回が続かなかった賞で、どれだけの格があるのか分からない、とにかく客観的な批評がしにくい作家でもあります。
で、当時はそれなりに流行ったようなのですが、その後の文学の潮流などもあり、戦後はしばらく忘れ去られていた作家であるとも言えるでしょう。その間も、サミュエル・ベケットなどは高く評価を続けていたようですが、まぁとにかくそういう、あまり知られていない作家です。(白状しますと、ベケットづてに辿り着いた作家です。)
さて、あらすじより本人の紹介が長くなってしまいましたが、あらすじです。
かいつまむと、父(夫)を失った母子が、母の故郷である(ただし、しばらく離れていた)パリで19節を掛けてじっくりと困窮していくだけの物語です。twitterに上げた画像ですが、翻訳版の本の半分を経過してこれです。
「家を出る」→「また家を出る」→「家賃を踏み倒す」→「質入れする」→「無一文に」→「借金まみれ」→「ナンパ失敗」→「老人から金をまきあげる」。たったの半分でもう既にクズ感が半端ないです。
さらに、続きの4分の1(残りは4分の1)でこれです。
「また家を出る」→「同じ老人から金をせしめる」→「ナンパに初成功!」→「寸借サギ的に金を借りる」→「叔父から借金成功!」→「家賃払えずケーサツ沙汰」→「1ヶ月半で借家を追われる」→「変な悪夢を見始める」→「母が詐病を始める」。ここまで落ちて、なぜまだ物語が終われないのかが不思議なくらいです。
細かいエピソード(主人公が働きに出るも2週間でやめるとか)など含めれば沢山あるのですが、その後も割愛して、最終的には主人公の子どもはセーヌ川に身を投げてお陀仏です。そう言えば、表紙で主人公らしきのがまっさかさまに飛んでますね。そういう話です。
そういう話を、ちょっと胃にもたれるくらい執拗に気分を表現する言い回しを繰り返しながら、話は淡々と進んで最後を迎えます。そういう徹底した、誤解を恐れなければ偏執的なところ、たしかにベケットが好きそうな匂いがぷんぷんします。
読後に爽快感や納得感、あるいは充足感があるかどうか、これは読者の人生経験とか文章に対するスタンスとかにも左右されると思いますが、とにもかくにも救いがない、というところだけは衆目の一致するところかと思われます。
戯曲「のけもの」のあらすじ(ネタバレが含まれます。)
原作のあるものなので、原作との比較などしながら簡単に内容を進めたいと思います。ネタ、バレます。ご注意ください。設定や戯曲上のルールなど、そのあたりは別記事で書ければ良いなと思います。
原作と同様に、母と子が主人公となり、かつ、この母と子がひたすらに借金を重ねたり家賃を踏み倒したりしながらも困窮していく物語です。ほら、原作と全く同じじゃないですか。
全部でざっくり5幕あります(0を除く)。そのすべての幕を、べたっと並列に並べて淡々と進みます。この淡々具合、19節と5幕という数字の違いはあるものの、やっぱり原作と同じじゃないですか。
母と子のほかには、母の姉、金貸し、執行官、老婦人、進行役、助平、クズなどが登場します。ね、とっても絶望的な匂いのする面子じゃないですか?
さて、ではあらすじです。幕ごとにどうぞ。その幕に出る俳優を各シーンの後に掲載します。
【シーン0】ここは、作品への導入として設定するところで、基本的には物語の内容とは関係がありません。ので、ここでは割愛します。
【シーン1】聚楽廻。母子が姉のところを訪ねるところから物語は始まります。おおよそ3か月程度、母の実家でもある姉のところにこの母子は厄介になるのですが、既に両親というつなぎ目のなくなった姉妹(母と姉)、そう簡単には行かず、ついには家を出てしまうことになります。
【シーン2】五条大橋。姉のところを出た母子は、ある老婦人が貸しに出している借家に収まります。既に手持ちが苦しく借金をしている模様ですが、それにも関わらず金貸しにさらに追加の融資を無心したりしています。結局、家賃を払わずに逃げ続ける母子に堪忍袋の緒が切れた老婦人は、母子を追い出してしまいます。
【シーン3】久世。夜逃げ同然に借家を逃れた母子は、姿をくらましひっそりと過ごそうとしますが、金貸しは執拗に追いかけてきます。ウルフルズ以上の剣幕で金を返すように迫る金貸しですが、その努力もむなしく裁判所からやってきた執行官が別の債務のために母子の資産の差し押さえを始めてしまいます。
【シーン4】釈迦谷山(当初「安祥寺」の予定でしたが変更しました)。ついには進退窮まった母子は、やむを得ず「働く」という禁じ手に手をつけてしまいます。そんな中、子と交際をしていると主張をする助平が現れますが、そんな交際相手の存在を誰も認めることはありません。ところで、いつの間にか働くことを諦めた母子の下を再び訪れる執行官が無常に告げるのは、先日の差し押さえ(動産執行)ではなく、立ち退き(不動産執行)でした。
【シーン5】京都駅。執行官の助言(?)に救われた子は、母から離れて一人、佇んでいます。そこにクズが現れてクズ同士のクズ談義に花が咲く中、進行役から厳しくなじられる子が、ひとつの心持ちを開陳したところで話は終わります。
なお、原作では子はセーヌ川に身を投げてしまい、劇場のすぐ近くにも鴨川がありますが、そこに身を投げたら本当に俳優が死んじゃうので、そういうことはしません。生きたまま終わります。
さて、長文でしたが以上、あらすじでした。
もちろん、あらすじを読んだとて、何ひとつ演劇の劇場体験ができないのが演劇の良いところでもあり、まどろっこしくもあるところです。あらすじだけを読むと、非常に沈うつで暗い、救いもなければ大変に「ずーん」とした話のように思えますが、そこはそれ、吉本新喜劇をこよなく愛するナントカ世代。
ほとんどのシーンがずっと、クスクスとほくそ笑みながら観ていただけるのではないかと思いながら作品づくりを進めています。「おもろうて、やがてかなしき」のようなところに落ち着けたいのですが、「おもろうて、とつぜんおわり(しかもちょっと前向き)」のような感じにもなりそうです(稽古でどっちかになるようがんばります)。
最初の構想ではもう少し「ずーん」という風に考えていたのですが、おかげでナントカ世代初心者にはもちろん、観劇初心者の方にも気軽に見ていただけるのではないでしょうか。
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