トルコで絨毯詐欺にあった話②
「Oさんはどうして、日本語が上手なんですか?」
世界でも日本語という言語は非常に難しい。助詞のひとつで意味が変わってしまうし、一人称の呼び方だって英語の「I(アイ)」に比べたら比較にならないほどある。
しかし、Oさんは質問に対して、一度も詰まったりせず、外国人特有のイントネーションもなく、スラスラときれいな日本語を話す。
「私は学生時代にドイツの学校に5年間ほど学んでいました。そのときに、日本人女性と知り合い、恋に落ちました」
Oさんはひとつひとつ過去の思い出について話す。
Oさんは15歳のとき、家庭の事情でドイツに引っ越した。そのときに
京都出身のキミコさんと親しくなる。在学期間中は友だちとして一緒に遊んでいた。しかし、卒業を機に二人は離ればなれ。そこから手紙のやり取りを交わすうちに、だんだんと二人の仲は深まっていく。
Oさんはキミコさんに好意を抱き、もっと親しくなるべく、日本語を話せるようになりたいと思う。そこで、サプライズで彼女に電話して、日本語を話しキミコさんを驚かせたいたと思ったそうだ。そこから日本語を猛勉強して、習得し、ある晩キミコさんに電話をした。
「電話をかけたら、お父さんが出てきてね『夜分遅く申し訳ございません、キミコさんいらっしゃいますか?』と伝えて、キミコさんに代わってもらったよ。最初、彼女は僕だと気づいてなかったよ『ホントに、Oなの!』って何度も言われたさ(笑)」
Oさんの愛がキミコさんに伝わり、交際がはじまる。Oさんが京都に旅行した際、一緒に清水寺を周ったりした。キミコさんもトルコを何度も訪れ、カッパドキアで気球を乗ったりもした。
二人の交際は2年続き、結婚を考えるようになる。しかし、キミコさんのお父さんが反対した。お父さんは、娘をトルコに行かせたくなく、Oさんが京都に来ることを結婚の条件とした。そこでOさんは諦める。
「20代の私には、日本で暮らしていく自信がなかったんだ。だけど、今の僕なら結婚していたかもね」
現在、Oさんはトルコ人の女性と結婚して、子どもも2人いる。
「今は今で幸せだけど、たまにキミコさんのことを思い出すよ。あのとき、結婚していたらどうなっていただろうか」
Oさんの目を見ると、目には涙を浮かべていた。日本語堪能の裏側にはそのような事情があったなんて、僕は驚く。
「会社ではプライベートな話をできる人がいないから、君たちと話をできることは嬉しい。キミコさんのこともあるから僕は日本人が好きなんだ」
だから、優しく僕らを慕ってくれているのか。疑いの念をもって、Oさんを見ていたことに、少し罰が悪い気持ちになる。
その後、コーヒーを片手に僕たちの旅の話や、家族の話など楽しい時間を過ごした。
最初の出会いから、3時間ほど経過し、僕らとOさんの間には絆が芽生え始めていた。Oさんはいい人に間違いない。
コーヒーを飲み終え、Oさんが
「ウチの会社が、ここからすぐそこなんだ。せっかくなら君たちにザクロティーをごちそうしよう。どうだい?」
ザクロティーを飲みく、Oさんをもっと知りたい。僕たちは、会計を済ませ、会社の方に向かう。
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