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母が人生で初めて一般道で100km以上を出した日の話。

母は人生で一度だけ一般道で100km出した

僕のお母さんはかなり慎重な人だ。よく言えば堅実、悪く言えば臆病な人だ。

賞味期限が切れたものは絶対に食べないし外に出かけるにも閉じまりの確認は最低2回はする。
飛行機に乗る時は事故の時の対処法の映像を凝視する。
健康のためと言って良く分からない栄養食品を試す。

そして一般道では50kmを超えない。
周りが60km以上で走っていようが絶対に50kmで走る。
何が何でも50kmは超えない。
逆に危ないんじゃないかと突っ込みたくなる。

石橋も叩いて叩いて叩きまくりさらに翌日に様子を見てからそっと渡っていくような人

そんな人が僕の母だ。

そんな母が人生でおそらく一度だけ一般道で100km以上出した時の話をしよう。

あの日、僕は入学の願書を出し忘れかけた

今からおよそ10年前の2月、僕は大学の願書を出し忘れかけた。

僕は周りの大人が勉強しなさいと言うし仲のいい友達もそこそこ勉強してたので勉強し高校もそこそこの進学校に通いそこでも周りに合わせて勉強し、大学に進学しようとしていた。

今思えば自分に主体性がなかったのだ。

そんな感じだから大学の願書の期限もいい加減だった。
いい加減出さないとなと期限を見てみると

なんと期限が当日だった

期限はその日の3時。そして時計を見ると2時30分

大学の願書を出し忘れる。ボケっとした自分でもヤバいと分かる自体に直面した。

どうしようもない僕は仕方ないから母に事情を説明した。

「母さん、大学の願書、今日だった。」
「へっ?」
母はまるで意味不明の外国語で話しかけられたような声を出した。
「3時までに出さないと。。。」
母が時計を見た。2時40分だった。
母は背中を見せて何も言わずに車のキーを鞄から取り出した。
「乗りなさい」
「へっ?」
僕が炭酸が抜けたコーラみたいな返事をすると母がこちらを見ずに言った。

「いーからさっさと乗りなさいっっっ!!!」

家の空気が少し震えた。

お母ちゃん、怖ぇ、、、

生まれて初めてそう思った。

あの日、あの時。母は公道最速だった

僕と母は車に乗り込むと母は無言でエンジンをふかし、ドライブにレバーを動かした。

そして母はアクセルを踏んだ。

僕の地元はとにかく坂が多く、車でも気を付けて通らないとスピードが出すぎて事故を起こす。

普段の母なら「怖いわ~」とか「きゃ~」とか言いながらゆっくり通る道だがこの日は違った。

「ちょっ危ないってぇ!」

思わず僕が叫んでしまうほどのスピードで坂を下っていく。

普段ならのんびり見れる景色が今はどんどん後ろに消えていった。

すごかったのがカーブだ。僕が特に印象に残っているのはブレーキ音だ。

カーブを曲がる時に母がブレーキを踏んだ。

きいぃぃぃっと地面とタイヤが激しく摩擦してこすれる音がした。
僕は10年たった今もあんな本能にヤバいと訴えてくる音を聞いたことが無い。

その後すぐに焦げ臭いにおいが漂ってきた。後日道を注意深く見てみたら白いタイヤ跡が残っていた。

たまらず僕が「母さん、スピード落としてぇぇぇぇ」と言うと母さんはこちらを見ずに言った。

「うるっさいっ!今は話しかけないでっっ!」

僕はふっと速度計に目をやった。速度を示す針は100kmの位置をだいぶ振り切っていた。

断言できる。

あの日の母は公道最速だった

今は母はきっと覚えていない。でもお母さん、僕は覚えているよ

それから約10年たち、僕も少しはしっかりしてきた。つもりだ。

数年前に実家に帰りあの日の事を話してみると母はポカンとして

「そんなことあったけねえ。。。」

多分、母はあの日の事を忘れている。

僕は母の事を人間的に好きかと聞かれると思わず首をひねってしまう。
良く分からない栄養食品を頼んでもいないのに勧めてくる、コロナワクチンを打つ人の事をテレビを見ながら鬼の形相で文句を言う、など母の人間性については疑問に思う機会が多いのも事実だ。

そんな母だがあの日の母の姿は僕の目に焼き付いている。

母が僕のために身体を張ってくれたあの日の姿は。。。





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