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僕と学校について

夏休みの終わり。自分の中高生時代を思い出して

8月も終わり夏の終わりの足音がいよいよ聞こえてくる。歩道を見ると制服姿の学生が歩いていた。

僕は中高生時代、本当に幸いなことに数人の良い友人に恵まれて学校に行くことが出来た。高校3年生の夏ごろいよいよ周りが受験のプレッシャーでピリピリし始めてからはあまり行かなくなってしまったが。

僕にとって学校自体が楽しかったという思い出はない。

学校という場所は多感な10代を30人以上同じ教室に入れて同じ授業をうけさせるのだがらどうしても生徒同士の軋轢が生まれるし教師にしたって全員が生徒思いのいい教師というわけではない。

残念なことに僕は学校ではみそっかすというやつだった。定型の発達をした生徒からしたら僕はまさに理解不能でクソ生意気な宇宙人だったのだろう。いわゆるイジメられやすい生徒だった。全体的におとなしい学校だったので殴る蹴るという暴行はなかったが陰口や嫌な絡みをされることはよくあった。

もし仮に僕に学校に仲の良い友人がいなかったら学校に行かない選択を選んだ。もしくはその選択すらできずに悲しい選択をしてしまったかもしれない。

大人になって思う事。学校に行かないのは間違いじゃない、家に引きこもるのは辞めといた方がいい

高校を卒業してもう10年が経過し僕も少しは大人になった。あんまり立派な大人とは言えないかもしれないけど

僕が今、学校に対して思う事は馴染めたらいいけど別に馴染めないのならそれで仕方ないじゃないかという事だ。

勿論普通に登校出来るならそれはそれで素晴らしいことだが集団に馴染める子供ばかりではない。僕みたいに弾かれてしまう人もいるだろう。

自分に対して悪意が向けられる場所にいるのはとても心と身体を消耗する。もし学校がそういう場所ならそんなとこにいる必要はない。早めに避難して正解だろう。

ただ家に引きこもるのは辞めといた方がいい。大学生の時に引きこもりになった僕が言うんだから少しは説得力あると思う。(この話については別の機会に書きたい)

なぜ引きこもらない方がいいのかというと悪い考えが頭をループし、体力もめちゃくちゃに落ちるからだ。

家にこもりっきりになると時間が余る。学校に行っていた時間が丸々空くからだ。1週間くらいは「ああ、ゆっくり出来る」とのんびりできるのだがそれが日常になってしまうと悪い考えが頭の中をループする。

「自分はなんで学校に行けないのだろう」

「将来自分はどうなってしまうのだろう」

「幼稚園児でも出来ていることが出来ない自分はいったい何なのか」

そんな思考が一日中頭をよぎっては消える。身体は休んでいるのだが精神がゴリゴリにすり減っていく。夜に眠れなくなり朝日と共に無理やり寝る。食事も夜中のコンビニでカップ麺で一日一食になっていく。

筋肉も落ちる。びっくりするほど全身の筋肉が落ちる。よく覚えているのが太ももの一番太い部分を片手で包めた事だ。

声も出なくなった。口を開くのが会計の時に「っす」、「、、、ざした」と小声でつぶやくだけだからいざ普通にしゃべろうとしても本当に声が出なくなるのだ。

引きこもらずに社会勉強をしに行こう

自分が引きこもった時にどうなったかは延々と書けそうなのだがいったん中止しよう。

話を戻して学校に行かなくなった代わりの時間をどうするのがいいのかについての話をしよう。

難しい問題だがもし僕が親だったら社会勉強でボランティアをさせるかもしれない。

学校4という映画がある。

簡単にあらすじを話すと不登校の少年が家出をして屋久島の縄文杉を見に行こうとする。その道中で色々な人たちと交流するというロードムービーだ。

この映画が伝えたいことは学校の勉強だけが勉強じゃないという事だ。

ぼくもその考えに賛成だ。

こんな時代だから旅に出るというのは難しいだろうが学校と家庭以外の外の世界の大人と交流するというのは多感な時期にとってとても大事なことだと思う。

じゃあお金も入るしバイトでもいいんじゃないかという意見もあるだろうが僕はバイトはおすすめしない。何故なら僕の経験上場所にもよると思うが僕自身は様々なバイト先で大概怒られてすごく凹んでいたからだ(笑)。

それもそれで社会勉強なのかもしれないがそれはまだ先の段階。

なのでまずは身体にもメンタルにも負荷が少ないボランティアで学校と家以外の大人と接するのがいいと思う。

まとめ

・学校に馴染めたらそれはそれでいいけど馴染めなくても仕方ないだろ!悲しい選択をするよりずっとましです。

・引きこもらない方がいい。時間が余ってメンタルにも余力があるならボランティアをして学校と家以外の世界の大人と話そう。





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