青春は時間が決められているから暖かい場所
これは恋だったのだろうか。
恋=性愛とは限らないと、ノンセクシュアル、デミセクシャル、ACEやアセクシャル、アロマンティックと、令和における世の中の通念としては明るくなってきたけど、じゃあ、性を抜きにしたらそれは恋だったのかと聞かれると、わからないことがたくさんある。
あれは恋だったのだろうか、友情だったのだろうか、ただのバイト先の仲間だったのか、拒んだのは関係性が崩れるのが嫌だったのが理由で、私から恋愛という枠から離れたのか、そもそも恋愛自体に興味がなかったのか、彼とは人間としては好意がある中で友人、いや、友人ですらなくてバイト仲間という枠を超えたくなかったのか。
「ロンドンってさ、オイスターカードってのが必要で、僕持ってるから貸してあげるよ、ちょっとだけポンドが入ってると思うんだ、使っていいよ」
「えー、私もロンドンに行ってきたとドヤ顔するために、自分用のオイスターカード買いたいからいらない」
「親切だけは受け取っておきなよ」
「それ、お土産でビールが欲しいとかの口実じゃ無いの」
「当たり」
タイムカードを切りながら、君はにやりという擬音語が似合う笑顔を向けてきた。「しゃあないなあ、買ってやるよ」と続いて言いながら、バイト先の制服を整えて、社員が引き継ぎに来るまで、学生バイトだった私たちは意味のない言葉を交換していた。20代後半の正社員には「仲良いよね、歳近いからかな」と言われていたが、恋愛と浮かれた空気はなく、どちらかといえば好きなものが似ていて、趣味が似ていて、互いに記号をシェアしていただけだった。手札を見せ合って、これ同じだよねと確認作業をしていただけだった。
毎回「学生は若くて羨ましいぞ」と冷やかしてくるが、「うちら恋人じゃ無いし、そもそも正社員さんも同じ20代じゃないですか」と二人で返し、「20代前半と後半じゃ大違いなの」と返されるまでが、お昼に流れる新喜劇のひとフレーズのように梱包されていた。最後にドンデンドンデンと音が鳴るように、同じ言葉で締めくくる、意味もない言葉を笑ってラリーを交わしていた。
自分自身が20代後半になった今では、正社員さんが言っていた言葉がわかる。本当に「20代前半と後半では」全く違う、彼らは元気だろうかと時々頭を掠める。そういや、店舗対抗のコンペのようなもので、受賞して正社員が喜んでいた姿があったな、銀賞だったか、なんたら賞だったか、店長と正社員が「バイトの君たちもがんばったからね!ハイ!飲みに行こうね!」と奢ってくれたのが面白かった。フリーターバイトの先輩が「バイトの君たちも頑張ったと言ってますが、ほぼバイトの我々がメインでやりましたね」と言って集る姿を後ろに、クスクスと笑っていたら、君も一緒に笑って、顔を合わせて大笑いしたことが面白かった。店長も正社員も続いて笑っていた。
あの頃は本当に無敵で、平和だったな、学生バイトという身分に甘んじて、暖かい場所だけを吸っていた。なんでも未来は明るいと思っていた、君ともいつか別れる時が来るし、別れる時は二人は学生という名を剥奪されて、「社会人」として働かなければならないから、終わりは見えていた。決められていた枠で決められた時間だったからか、終わりが明瞭だから、彩りを感じていたのだろう。優しい店長も、ちょっかいばかりかけてくる正社員さんも、きっと学生の身分が終わるまでのタイムリミットがあるから親切にしていたのかもしれないし、限られた時間を暖かく、限られた時間がたとえ刹那的な時間であっても、守ってきたのだろう。私たちがバイトとして参加する前の人間、私たちが去った後にバイトとして参加をする人間、同じを繰り返しを経てきているから、目の前にいた私たちのことも、辞めた先輩らのように、これから入ってくるであろう後輩らのように、愛してくれたのだろう。
「ロンドン旅行帰ってきました、バイトお休みありがとうございます」
店長に「みなさんで食べてくださいねえ」とお菓子をあげてる最中に、いつの間にか同じ時間のシフトだった君は「ビールは」と手を伸ばされたので「もちろんだよ」と紙袋を返していたら、店長が「俺のは無いの」と羨ましそうに見てきたので「もちろんありますよ」と返したら、悲しそうに笑ってくれた。
「君たちも、もうすぐ辞めるんだよね」
店長が座る、くたびれたデスクの上に置いてあるあるカレンダーに目を向けたら、2月だった。あと1ヶ月で、私たちは暖かい場所を失う。いや、君は暖かい場所ではなかったかもしれない、私だけが暖かい場所だった可能性の方が大きい。カウントダウンが寂しいけど、私たちはきっと、偶々同じような時期に入って、偶々同じような記号が大好きで、同じタイミングで社会人になり、辞めることが決まっていて、だからこそ釣り合う綱引きを続けていたのだと思う。
「追い出し会と新しく入られた方の歓迎会楽しみです、店長の奢りで」
君が好きではなくて、暖かい場所が好きだったね、そういえば。暖かい場所を失う方がよっぽど辛かったのだと思う。
店長は「奢りはきついね流石にこの人数じゃ」と頭をぽりぽりかいていて、「冗談ですよ」と返している最中、交代時間が近づくフリーターバイトの先輩から、引き継ぎをするよと声をかけられて、「自分のビールは」と手を出されたので「勿論ありますよ」と返したら、「君は仕事が好きだろうし、バイトだけどバイトだからとサボることもなかったし、人間関係円滑に運ぶコミュニケーション得意だしどこでもやっていけるよ、本当にね」と言われたけど、20代後半の私は苦しんでいる。
暖かい場所が遠くにあって、戻りたいとは思わないし、身分が学生バイトだったから暖かい場所だったのだろうし、あの頃は既に通過点だと思っているけど、「どこでもやってけるよ」と言ってくれたフリーターの先輩には顔見せ出来ないなあと恥じている。
↑学生バイトのお話(音声配信)