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その一票を投じる背中に敬意と感謝を

政治や選挙には詳しくはないのだけれど、できるだけ投票には行くようにしている。最近では質問に答えていくと自分の考えに近い政党を教えてくれるサイトもあり、投票先を決める際にとても参考になる。

とはいえ投票権を得て数年は、選挙のはがき(投票所入場券)が届いても使うことなくそのまま捨てていた。選挙に後ろ向きな理由なんてたくさんある。

投票所まで行くのが億劫。投票のために予定を空けなければいけないのが面倒。政治は難しいし、どの政党が自分に合うのかいまいち分からない。投票したとて公約はどれほど守られるのか。当選した途端、掌を返したりはしないだろうか。自分のその選択が後になって日本に悪い影響を及ぼすのでは?

生来の面倒くさがりな性格や知識不足、政治不信の他。また、若い世代は高齢者に比べて人数が少ないから、自分が投票したとしても高齢者が優遇される社会にしかならないのだろうという思いもあった。

そんな私が「選挙権を行使する」という姿勢を学んだのは、奇しくもその高齢者からだった。

10年程前の何かの選挙の時期に、親戚の面会で特別養護老人ホーム(介護を必要とする高齢者が暮らす施設)を訪れた。その時に80代であろう女性が候補者を書いた紙を職員に渡したり、車椅子に乗った男性が「この人に投票するわ」と伝えていたのだ。

もしかしたら選挙に積極的で意思決定能力のある入所者は、ごくわずかだったのかもしれない。この文を読んでくれている方の中には、成人していれば誰にでも投票権はあるんだから当たり前だという人もいるのかもしれない。それでも高齢者施設からでも意志を持って政治に参加する姿が、私の選挙への向き合い方を変えるきっかけとなった。

色々と理由を並べて権利を捨てていた自分が驚くほど、高齢者は選挙というものを大切にし、政治というものを真摯に考えていた。確かに世代の人数で政治や政策に影響はあるだろうけれど、高齢者だって自分の政治に対する意見を票に託しているだけなのだ。

投票が面倒なのも、政治が難しいのも、政治家を信じきれないのも、自分の一票にはなんの力もないと思うのも、みんな同じ。選挙に対するどんな後ろ向きな理由や不安も、誰もが平等に抱えているものだと気づいて以降、できるだけ投票に行くようにしている。誰もが平等に持つ一票を投じに。

そして先日2024年10月27日(日)に行われた衆議院選挙に家族4人で投票に行った。父と母、そして共に暮らす90代の祖母。

全く聞こえなくなってしまった耳に補聴器をつけ、小さな歩幅でちょこちょこと投票箱に向かう祖母の背中は、昔と比べて随分と丸くなった。

投票先は家族間でも教え合わないので、祖母がどの政党や候補者を書いたのかは私にも分からない。けれども、ネットを使えない祖母はテレビや新聞から情報を得て、彼女なりに自分の生活や今後の日本のことを考えて投票したに違いない。

不自由な体を押してでも、自身の持つその一票を投じるために投票所に行くその姿に敬意を。

選挙に臨むその姿勢を、私たちに見せてくれていることに感謝を。

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