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おにぎり③カーテンコール

今日は機密文書の廃棄業者(仮:夏木さん)を連れて、安西先生のクリニックに伺う。保存期間を過ぎたカルテを廃棄するための作業日数や搬出経路の確認も兼ねている。
クリニックの玄関先には何のつもりか、まるで待ち伏せでもしていたようなタイミングの良さでアイスマン(事務長)が仁王立ちして居た。
今日伺うことは連絡していたけれど、出迎え(歓迎されている訳ではない)があるとは思わず、まさか「帰れ」とか言わないよな・・・と、追い帰されるかもしれない危機感を持って車を降りると、すぐに廃棄業者の大型車がクリニックの駐車場に入ってきた。

カルテ庫に近い裏口まで積み込み用の大型車が問題なく出入りできることを確認して、不機嫌な門番が待つ正面玄関に向かう。
お互いを紹介すると案の定、私の時と同じような塩対応だったため、面食らった夏木さんがそのまま固まってしまった。

「まぁ・・・・あの・・・・お気になさらず。あれ、通常仕様です」

玄関先でコソコソとそんなことをやっていると

「置いていきますよ(怒)」

アイスマンの不機嫌な声が響く。
案内してくれるところを見ると、やっぱり出迎え(待ち伏せかも?)だったんだろう。
それにしても、行動と言葉と表情と、どれもこれもチグハグな人だ。

大股で歩いて行くアイスマンの後を追いながら、遠い記憶が頭をかすめる。
玄関先の出迎えを受けたのは、これで二度目だ。
一度目は、亡くなった院長婦人。


安西先生と奥様のことを少し綴っておこうと思う。
12年前くらいになるかな。
もうちょっと前だったかもしれない、その頃の話。



「新しくデスクトップのパソコンを買ったんだが、プリンターの設定がまったく上手くできない。印刷できなくて困っているのは僕も同じなのに、毎日のようにうちの家内が、印刷できないと抗議してくる。申し訳ないが助けてもらえないだろうか」


不調が続く年季の入った私物のノートパソコンを見て欲しいと部署を訪ねてこられてから、ひと月ほど経った頃だったか、朝から大変な困り顔で、再び部署を訪ねてこられた。
プリンターのドライバーがインストールされていないか、複数台プリンターがあればどれがどこかだかわからないとか、多分そう言う単純なことだと思ったが、当時勤めていた医療機関から安西先生のクリニックまで車で10分かからないので、昼休みにちょっと外出すれば充分だ。
そんな経緯で、早速その日にクリニックに伺うことになった。
梅雨の雨間で良く晴れていて、とても蒸し暑い日だった。

クリニックの駐車場に入ると、正面玄関に日傘を差した女性が見えた。
車から降りるとすぐ、その女性に声を掛けられる。
初めてお会いする安西先生の奥様だった。

「わざわざ来ていただいてごめんなさいね。暑かったでしょ?」

瞬間、出迎えられたのだと気が付いて、どれだけ待たせていたのかと心配になって腕時計で時間を確認したことを良く覚えている。
安西先生はまだ外勤中(私の勤務先で)だから、私が訪ねてくることを知らせてあったのだろう。
名前を告げて挨拶をする。

「うち、猫がいるんだけど大丈夫?」

猫好きなことを伝えると

「あぁ~良かった。夫婦そろって猫好きでね」・・・・

車に轢かれた猫を数年前に保護して自宅で治療したのがきっかけで、そういった行き場のない野良猫を見かけると連れて帰ってしまうのだと。
生まれたばかりの仔猫はきょうだいが離れ離れになるのが可哀そうだから、5匹連れて来てしまったらしい。
そんなだからたくさん猫がいるのよ、と奥様が話してくれた。

並んで歩くと目線が下になるくらいの小柄な人だった。

クリニックの裏側には安西先生のご自宅があって、屋根付きの通路で自宅とクリニックが行き来できるようになっていた。
20~30台はとめられる駐車場の脇には大きな桜の木が二本あって、その奥には家庭菜園と呼ぶには本格的すぎる広い畑が見える。
蜜柑の木もいくつかあって、そのすぐ横には離れのような建物があった。

田舎なので個人宅でも広い敷地は良く見かけるが、それにしてもここは格段に広い。

案内してもらったのは安西先生の書斎。
猫がたくさんいるとはさっき聞いたけど、想像していたよりも大勢いる。
いたるところに遠慮のない感じで鎮座している猫の様子を見ると、この部屋の主は安西先生ではないんだろうなと思えた。
12匹居ると言う元野良出身の猫は、どの子の身体もきれいに手入れされていて首には可愛らしい首輪が付けてある。
庭先までは散歩に出かけても、敷地を離れて行く子はいないそうだ。
ここは安全で居心地がいいと知っているんだろう。

問題のプリンターは、やっぱり新しいパソコンにプリンターのドライバーがインストールされていないだけですぐに解決した。

奥様はと言えば、私が作業しているすぐ隣に居て、さっきからずっとほぼひとりでお喋りしている。

もうすぐ『お味見会』があって、その案内を早く院内に掲示したかったらしい。
通院されている患者さんは高齢の方が多く、一人暮らしの方も少なくないため、皆で食事を摂ることと外出の機会を作るのが目的でこの会を始めたらしい。
元々、管理栄養士で調理師免許も持っている奥様が献立を考えて、参加する方々と一緒に食事を作るのだと楽しそうに話してくれた。
毎月2回、日曜日に開いていると言う『お味見会』を、どなたもとても楽しみにしているらしく、案内が掲示されていないことを心配しているそうだ。

なるほど。
それで安西先生に毎日クレームが入る訳か。

ファイリングされたこれまでの『お味見会』の案内を見せて貰うと、印字が全部左側に寄っていて、先程印刷したばかりの案内もそうなっている。
このまま左寄りのほうがいいのか尋ねると、これもずっと困っていたのだと奥様は言う。
ついでなので印刷レイアウトを調整して、中央に印刷されるようにすると、それを隣で見ていた奥様はとても喜んでいた。

そしてたった今、電球が入ったままのレジ袋を奥様が見つけて、切れた電球を取り替えていないことが奥様に発覚してしまい、安西先生に次なるクレームが入っている。

「もう一週間前に電球が切れて、新しいのをここに置いていても取り替えてくれてないのよ、ほら」

そう言って新しい電球がふたつ入ったレジ袋を、こちらに向けて見せてくれた。レジ袋のカサカサした音に、その辺り一帯でくつろいでいた猫たちの視線が向く。おやつ貰えると思った様子だったが、何も貰えないと察したようで、また思い思いにくつろぎ始める。


「ちょっと待っててね、すぐ戻るから」

奥様が小走りに書斎を出て行ったので、猫の群衆と私だけになる。
一番近くにいたキジ猫(後で、きなこと言う名前だと知る)と視線があう。
触りたかったけど、せっかく寝転がってくつろいでるのに、急に知らん人から触れられるのは嫌だろうなと思い至ってやめた。

書斎の電気スイッチを付けてみると、なるほど二箇所切れていた。
隅のほうに踏み台があったので、奥様を待っているあいだに電球を交換しておこう。寛いでいる猫が起きないように、この上なく気を遣うが、猫のためなら何も苦ではない。
ちょうど取り替え終わって、電気を点けてみたくらいの時に奥様が書斎に戻ってきた。

電気が全部点いている様子を見て、自分では脚立に乗っても届かないから本当に助かったと、だいぶ大袈裟に喜んでくれた。

「お昼まだでしょ?」

そう言って、奥様が紙袋を渡してくれた。
いただいていいのか迷ったが、奥様の顔を見ていると断るのもなんだかなぁと思えて、有難くいただくことにした。

帰りも車の傍まで見送ってくれて、終始ずっと恐縮するほど良くしていただいた。

職場に戻って紙袋の中を見ると、手作りの大きなおにぎりが6個入っていた。ずっしりと重量感のあるそれを手に取るとまだ温かくて、ついさっき作ってくれたことがわかる。
しかしながら数が多い 笑


数日後、売店の先にある休憩所で患者さんと談笑している安西先生を見かけた。
朗らかな笑い声が廊下にまで届く。
安西先生も私に気が付いた様子で、こちらに向けて片手をあげる。


「先日はどうもありがとう。手間をとらせて申し訳なかったね。
あの日はずっと君の話をしていて、家内のお喋りがとまらなかったよ」

何か失礼なことをしていないか急いで思い返してみる。

「僕はいつまでも電球ひとつ代えてくれないけど、余計なこと何も言わずに黙って電球まで取り替えてくれて、困っていたことをあっという間に全部解決して帰って行ったって。大はしゃぎでね」

なんとなく「大はしゃぎ」の、その様子が想像できて可笑しい。
さっきから何か失礼なことをしていないか思い出そうとしているが、ほとんど相槌しか打っていないことに改めて気付く。
途切れる隙がない奥様のお喋りに、もともと口数が少ない(自他ともに共通認識)私が立ち回れるわけがない。


「大家族なんですね」

一瞬、間があったが意味が伝わったらしく、目じりを下げて安西先生が笑う。

「あぁ、そうなんだよ。生まれたばかりの仔猫を拾った時は世話が大変でね。ちっとも寝てられないんだ」

男の子には和菓子、女の子には花の名前をつけたことや、それぞれに付けられていた首輪は、奥様が手作りされたものだと言うことを教えてもらう。

「家内がね、先日のお礼がしたいと言っているんだよ」

特別なことはしていないし、それにもう充分いただいている(おにぎり)ことを伝える。

「育ち盛りをとっくに過ぎた身には、多すぎる報酬でした」

愉快そうに安西先生が笑う。
本当に、楽しそうに笑う人だと思った。

こういう経緯とやり取りがきっかけで、安西先生ご夫婦と知り合うことになった。程なく、私は勤務先を退職して起業したが、その後もご縁は途切れずに続いた。
お中元やお歳暮(大量のちゅーる)を猫にお届けするため、クリニックにお邪魔することもあった。
9歳差もあってか、安西先生は奥様にいつも年寄り扱いされていたけれど、とても仲の良いご夫婦だった。
奥様が作ってくれたぜんざいをご馳走になったり、少し込み入った話を聞かせてもらうこともあった。
猫に邪魔されながら、安西先生とは良く将棋を指した。
だいたい私が勝った。

安西先生ご夫婦には子供が居ない。
一人目は流産で、二人目は2歳の頃に小児がんで亡くなられたと聞いた。
自分の身体が弱いせいだと、持病持ちの奥様はずいぶん気落ちされたそうだ。

そんなセンシティブな話も聞かせてもらうことが多かった。

COVID-19が流行する3年くらい前から、仕事が立て込むことが多くなって、安西先生のクリニックに伺うことが徐々に減っていた。

「仕事が落ち着いたら、すぐに顔出してね」

奥様とそんな電話をした。
いつもと変わらない声だった。
何の疑いもなくまた会えると思っていた。
それからすぐ、体調を崩されてそのまま奥様は亡くなられた。
もともと心臓に持病のある人だったが、急変してあっと言う間だったそうだ。

万が一のことがあっても私には知らせないで欲しいと、病床の奥様から頼まれた安西先生はその言葉通り、奥様が逝去されたことを私に知らせなかった。仕事が忙しいのは良いことだと喜んでくれていたから、余計な心配をかけないように気遣ってくれたのだと思う。
普段はあれほどお喋りなのに、肝心なときに急に言葉を仕舞う。
最期くらい好きに呼びつけたら良かったのに、黙って居なくなるなんて本当に勘弁してほしい。

奥様の訃報を知ったのは、亡くなられて半年も経ったあとだった。
奥様の後を追うように、3匹の猫が立て続けに虹の橋を渡ったこともその時聞いた。

ここに居たと言う痕跡はそのまま変わらず在るのに、肝心の人が見当たらないことが上手く理解できなかった。

そして、COVID-19が徐々に広がり始め、非常事態宣言が出されると日常が大きく変わった。
その最中、私は実母を見送った。

私の母が神経難病を患っていることを、一度だけ安西先生に話したことがあった。けれど、末期の膵臓癌が見つかったことは言う間もなく、母は他界してしまった。
しばらく経って母の訃報を知らせると、
「どうしてもっと早く連絡しなかったんだ」
と小言を言われた。

自分だって内緒にしていたくせに、と思ったことを良く覚えている。





「奥の棚から箱詰めしたらいいですかね?」

夏木さんの声で意識が巻き戻る。
カルテ庫で、破棄するカルテの運搬の段取りをしているところだ。

「箱詰めは期日までにこちらでやるので、資材の提供だけお願いします」

翌日、梱包に必要な資材を届けてもらうことになった。
塩対応が続くアイスマンに怯えながら、夏木さんは営業所に戻って行った。

このカルテの中に、奥様のもあるんだろうな。
例えようがないけれど、もう戻ってこない人なんだと思い知らされる。
分かっているけど。
全部理解しているけど。
いつまでも納得できないままでいる、いろんなことを。

日頃は思い出さないようなことでも、小さなきっかけがひとつでもあると、次々に連鎖して思い返される。
どちらかと言うと記憶力は良い方で便利な事が多いけれど、こういう時にちょっと嫌になる。

世界の人口がおおよそ80億人。
80歳まで生きられたとして、生涯で知り合える人数は30,000人。
そのうち、親しい間柄になれる人が300人。
友人と呼べる人は30人で親友だと3人らしい。

私は友人も親友も全然足りていない。
それでもわりと快適に暮らしてはいるが、出会いが一期一会だとするともったいない気もする。
今日も不機嫌なアイスマンに視線を向ける。
親しく話せる間柄には・・・・なれないだろうな。たぶん。


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