日記のようなもの
薄曇りだったある日の夕方。
思っていたよりも早く仕事が終わったので、少し遠回りして帰ることにした。
3年ぶりに桜を見に行く。
そうは言っても、天気のいい昼間の満開の桜は贅沢で眩しすぎるだろうから
夕方の、できたら曇り空で、ずいぶん散ったあとの桜がいい。
どんなことでも「時間が解決してくれる」と至る所で良く耳にするけれど、
その効果を、いまいち実感できないまま
母が居ない三度目の春を迎えている。
ホントにすっかり苦手になってしまった。
春の日が。
起業して、そろそろ9年経つかな。
これまでは、仕事の依頼があっても手一杯の時は程よく断っていたくせに
この3年間ひとつも断らず引受けて、必要以上に、意識的に日常を忙しくしていたように思う。
少しでも休むと罪悪感が顔を覗かせるような、そんな気さえしていた。
誰も咎めたりしないのに。
その結果、ひと月が30日、1週間が7日、1日が24時間ではどうにも足りなくて、辻褄のあわない仕事量に追われることになった。
報われない頑張りも
おまじないのような励ましも
どれもこれも正しくなくて
後悔ばかりするから
後悔だけが残るから
誰かのためと言いながら
本当は自分を掬い上げるために無理をやっていたようにも思う。
薄曇りの日、ちょっと肌寒い夕方に見た散り際の桜はとても秀麗で
ひとりで見るにはもったいない程だった。
母にも見せてあげたかった。
・・・・・見えたかな。
「満開の頃がよかった」なんて、不満そうに言ってるかな。
そんなこと言ってそうだな。
先に断っておくけど、たぶん来年も再来年も、まだ無理だから。
もっとずっと先になると思うけど、
晴れた日の昼間に、満開の桜を見に行こう。
誘うから
一緒に行こう。