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どら焼き①カーテンコール

2023年12月某日。
南の地方の片隅にあるクリニックが閉院した。
良く晴れた季節外れの暖かい日だった。

今回、ちょっと無理をしてでも、この仕事を引き受けて良かった。
見知らぬ誰かの記憶を辿って、その情景を想像してみることは、自分のこれまでを思いがけず振り返ることにもなって、改めて考え直すことも多かった。

始めるよりも終えることのほうが難しい。
良くも悪くも、様々なものが纏わりつくから。
ずっとそんなふうに思っていた。
実際のところ、やっぱりそうなのかもしれないけれど。

静かに時を刻んでいた場所が、ひとつの役割を終えようとする瞬間までを見届けた訳だが、そこにはただただ、穏やかな時間と大仕事をやり終えたと言う達成感のような、暖かいもので溢れていた。
心地いいと思える時間だった。

このことをゆっくり綴っていこうと思う。
少し長くなる。




「閉院の手伝いを頼めないだろうか」

そんな電話をもらったのは2023年2月。
風が強くてやたらと寒い日の仕事帰りだったのを覚えている。
電話の主は、私が起業する直前に勤務していた医療機関でお世話になっていた先生だ。
ご自身で内科クリニックを経営されているが、私が勤めていた医療機関にも外来診療に来られており、使っているノートパソコンの調子が悪いから見て欲しいと言われたのが、初めてお会いしたきっかけだった。

当時、私は院内のシステム管理部に所属していて12名の部下がいた。
その日は確か、梅雨に入る頃だったと記憶している。
私物のノートパソコンを持って部署を訪ねてこられた。
ドアの方からノックする音が聞こえたので視線だけ向けると、そこには白衣を着た安西先生(スラムダンクの)が立っていた。
恰幅が良く、ひげも眼鏡も白髪も、どう見てもそのまま安西先生だ。

『自分のパソコンなんだけど数日前から調子が悪い。外来看護師にぼやいたら、ここに相談してみると良いと言われたんで持ってきたが、どうだろう、見てもらえるかね?』

そんなふうな出会いだった。
二言三言会話をし、先生が出て行くと
『安西先生でしたね!』
『いや、カーネルおじさんやろ!』
『あーーーー!カーネルおじさんやねーーー!』
『安西先生ですよ!』

興奮気味な声が響く。
みんな似たようなことを思ったんだなと可笑しかった。
もちろん、この先生はカーネルでも安西と言う名前でもないけれど、以降、部署内ではみんなでこっそり『安西先生』と呼んでいた。
多分、ご本人には気付かれていないと思う。未だに。

だからここでも、こっそり安西先生と呼ぶことにする。

冒頭の電話を受けて、開口一番に
「力仕事ですか?あんまりお役に立てなさそうですけど・・・」
と聞くと
「そうじゃないよ」
そう言って笑っていた。

「カルテの破棄とか保管とか。データのどうのこうのとか、キミの専門分野でしょう?」
「そうですけど、閉院の仕事はやったことないからコンサルとかに丸ごとお願いしたほうが良くないですか」
「クリニックを閉じるのは私の最後の仕事だからね。良く知らない人物に託したくないんだよ」

安西先生は用心深いところがあるのを思いだした。
ついでに、とてもアナログな人だから本当に困って私に連絡してきたのだろう。2月の時点で12月末まで仕事の予定が詰まっていたけど、これは断れないなと思った。
近いうちに、一度クリニックに伺う約束をしてその日の電話を終えた。

安西先生のクリニックまで自宅から車移動で80分。メインで出入りしている医療機関からは3時間近くかかる。
テトリスみたいにスケジュールを動かして、診療終わりの時間帯に訪問できそうな日をどうにか捻出する。

電話をもらってから10日後の夕方。
安西先生の好物のどら焼きを手土産に持って、暫くぶりのクリニックを訪ねる。
待合室には4名ほど患者さんがいた。
受付にアポイントがあるこを伝えると、邪魔にならない隅の方に座って外来診療が終わるのを待った。

閉院すること、どの辺りの関係者まで話をしているのだろうか。
高齢な患者さんが多いから、転院先探すのが難しいだろうな。
通院できる近さで、バスが利用できないと困る患者さんいるだろうし。

どこを、何を見るでもなく、ぼんやりと待合室の様子を眺めならが浮かんでくる疑問を順に並べていると、診察室の扉がガラリと開いて、少しよれた白衣が視界に入る。

「忙しいところ申し訳ないね」
久しぶりに会う安西先生は、私が最後にお見かけした頃よりも一回りは痩せていた。

「大丈夫ですか、先生」
「なにがだね?」
「ずいぶん痩せられてるから、ちょっと驚いて」

私がそう言うと、安西先生は心底心外そうな表情をして
「年中ヒョロヒョロしているキミには言われたくないね」
と反撃される。

「先に事務長を紹介しておくよ。たぶん一番・・・大変だからね」
安西先生の含みのある言い方が少し気になった。

待合室から見えていた受付の奥の方にその人の席があった。
安西先生がお互いを紹介してくれる。
名刺交換を済ませると、事務長は吐き捨てるような言い方で

「特別、お願いすることないんですけどね」

と冷ややかな言葉で釘を刺してきた。

なるほど。
全く歓迎されていない。
それどころか完全に敵視されている。

愉快そうに肩を揺らして笑いながら安西先生が応接室に通してくれた。
手土産のどら焼きを渡す。

「頑固なところもあるけれど、根は良い人物なんだよ。長く勤めてくれていて、僕もずいぶん助けてもらった」

淹れてもらったお茶をいただく。
お洒落な茶器は、亡くなった奥様のセンスだ。

先程のような冷遇は、実は良く受けるのですっかり慣れている。
医療機関のIT化は、他業種に比べて驚くほど特に遅れていて、システム化されると、途端に居場所がなくなるような感覚になる人も多い。
その不安や良くわからないことに対する怒りみたいなものを、割とダイレクトに言葉や態度で受けることがある。
そう言った気持ちは理解できるから、特に否定しないし改めて反論もしない。いくら説明を尽くしても、溝が埋まらないことも知っている。
システムが稼働して、思っていたより快適に仕事ができることを体感できて初めて納得してもらえる。
それまではただ、不言実行。私が好きな言葉のひとつだ。


包装紙を解いて、白餡か黒餡のどちらから食べるか、どら焼きを選んでいる安西先生を正面に見ながら、
『特別、お願いすることないんですけどね』
そう言わせた心境を考えていた。
誰でも大切な場所は守りたい。
突然やって来た全くの部外者を警戒するのも当然だ。

「まずは、できることから始めようと思います」

安西先生にそう言うと、どら焼きを美味しそうに頬張りながら、満足した笑顔で頷いてくれた。

帰り道、事務長に『アイスマン』と言うあだ名をつけたことは、誰も知らない。