日記のようなもの
母が居なくなって二度目の春。
4月生まれの母は、その季節がとても良く似合う柔和で朗らかな人だった。
神経難病を患っていたため生まれつき不自由な身体で我慢することも、苦労することも多かった母は、最期は膵臓癌であっという間に他界した。
2020年4月下旬に末期の膵臓癌だと診断を受けて、たった4ヶ月程の時間しか残されていなくて、何もしてやれない私など、本当に役立たずだった。
「また来年見ようね」
2020年の春は雨の日が多くて瞬く間に桜が散ってしまったから、そんな約束をしたんだった。
来年も再来年も、元気じゃなくてもいいから母に生きていて欲しいと、祈るように約束したことを思い出してしまう。
桜をみると。
元来寒がりの私は、春めいてくる時期がこれまで待ち遠しかったのだが、母を思い返す記憶が多い春の日が、どうも苦手になったように思う。
春がそうなのか、それとも桜を見るとダメなのか、その辺りは曖昧だ。
今年も年度末は仕事が忙しくて、ゆっくり桜を眺める時間は取れなかった。例年そうだ。
母が居た頃は無理矢理に時間を空けて、母が好きだった公園まで桜やチューリップを見に出かけていたが、そんな口実がなくなると足が向かないものだな。
視界に映る風景は二年前も今も何ら変化がないのに、たったひとりが存在しないというだけで心情には大きな変化があることを思い知らされる日々でもある。
そこに母だけが居ない、泣きたくなる光景がもうひとつある。
母が使っていたラタンの椅子に並んで外を眺める家猫だ。
母が居なくなって一年半程が過ぎたが、今もこうやって母が居た頃と同じように外を眺めている。
まるでそこに母が座っているかのように、上を見上げて尻尾を揺らしたりするから毎回視界が滲んで本当に困る。
猫にも記憶が残るのだろうか。
ただの習慣付いた動作なのかもしれないが、母と過ごしていた記憶が欠片でも残っていたらと思うと、やはり泣けてくる。
何より優しい答えを、家猫がいとも簡単に示してくれる。
見えなくても、そこに居なくても、触れることができなくても。
在ったんだから、覚えている。
それでいいではないか。
家猫が話せたとしたら、そんなことを言いそうだ。
そして、言われたことは概ね間違っていない。
南の地方は、これからあっという間に梅雨に入り、そして長い夏が始まる。
その時々で母との記憶を辿りながら折り合う何かを見つけるしかない。
幾度かの春を静かに見送って、またその季節が待ち遠しくなるまで。