アルバム⑤カーテンコール
知らない誰かの思い出話を聞かせてもらって、その知らない誰かのことを考えてみる時間は、まるで謎解きでもしているような感覚で、他にも何か手がかりがないかと更にその人の記憶を手繰りながら紐解いてしまう。
いくら考えたところで、正解には辿り着けないとわかっていても。
仮説の仮説を証明することが無意味であっても。
不思議とそれを無駄なことだとは全く思えなかった。
カーテンコール④の続き。
2023年6月。
梅雨真っ只中のある日。
そろそろカルテ庫の片付けに着手する予定を組んでいたが、前々日から梅雨と言うよりは台風のような豪雨が続いていたので、予定の日付を少しずらしませんかとアイスマンに連絡をしてみると、
「予定表では〇日から片付けになっているから、この日に始めます」
真面目か・・・
〇日が△日になっても、最悪✕日くらいまでに着手できれば問題ないことを伝えてみても
「予定表通りで大丈夫です」
頑固か・・・
よし、本当にいいんだな。
これまでずっと、風雨や湿気からあなたが大切に守ってきたカルテだ。
最後までそうしたほうがいいのではと思ったが、本人が大丈夫なら何も言うことはない。
そんな訳で、絶好の片付け日和(雷も鳴る)に安西先生のクリニックに伺う。
「こんな大雨の中に来たのかね?」
クリニックの裏にある昇降口で、傘を畳んでいた私を怪訝そうに見ている安西先生に手短に挨拶を済ませる。
「それは新作の雨合羽か何かかね?」
「新作?あぁ。これ濡れなくていいんですよ。安西先生もどうです?」
更に怪訝な安西先生の視線の先は、私の手荷物を捉えていた。
大事な資料が入っている鞄を雨から守るために、ごみ袋を二重にしてきている。レジ袋じゃない、45リットルのごみ袋。もちろん未使用のやつ。
「・・・・いや、遠慮しておくよ」
安西先生の返事に適当な相槌を打ちながら、水撥ねした足元をタオルで拭いていると、鞄は無事だがキミはどうなんだね?とでも言いたげな小難しい表情の安西先生と目が合う。
「あとはそのうち乾くので問題ないです」
小言が飛んでくる前に、さっさと事務室の方に向かう。
だから言ったんだ。
片付けは今日じゃなくてもよかったんだよ、アイスマン。
事務室を訪ねたが、アイスマンは自席にいない。
「いま市役所に行ったばっかりだから、多分1時間くらい戻ってこないかも。提出期限過ぎてた書類があったみたいで、慌てて出て行ったんよねー」
多分、このクリニックに一番長く勤めているだろう看護師さん(仮:戸田さん)が声を掛けてくれた。
それなら先に段ボールでも組み立てておくか。
戸田さんにそう伝えると、
「事務長が戻るまで、ここでゆっくりしてて。今日は天気も悪くて患者さん少ないから私、とってもヒマなんよ」
そう言って笑うと、奥の休憩室のドアを開けてくれる。
薦められた椅子に腰を下ろすと、戸田さんがファイルのようなものをいくつも抱えてきて隣に座る。
「いつか見て欲しいと思ってたからちょうどよかった。きっと、はるさん(奥様のこと)も喜ぶと思って」
戸田さんが抱えていたのはお味見会のアルバムだった。
調理中や談話の風景も写真に収められていたが、お味見会の最後は必ず参加者全員で記念撮影をし続けてきたそうだ。
写真と一緒に、これまでのお味見会の案内もファイリングしてある。
「この案内のレイアウトも、きれいに揃えてくれたんでしょ?ずーっと左に寄ったままだったのに中央に印刷されるようになったから、安西先生がやってくれたのかと思ってたんだけど。いつだったか、はるさんが大はしゃぎで話してくれたわ、あなたのこと」
戸田さんは、記憶を辿っているかような優しい表情で、見覚えのあるそれを大切そうに、愛でるように撫でていた。
こんな時、なんて言えばいいのか躊躇われて、視線で静かに頷くくらいしかできない。
たったひとつ。
ついでにやっただけの何でもないことが、何年も経ったあとに当時のことを知っている人と、こんなふうに記憶が交差することがあるんだな。
写真の説明や当時のエピソードを教えてくれる戸田さんも懐かしそうに、いろいろな出来事をとても詳しく話してくれた。
何十冊にも及ぶそのアルバムは表紙こそ年季が入っているが、丁寧にファイリングされた写真は色あせもなく、当時の様子が瑞々しいほどに伝わる。
カーテンコール③の記事で、安西先生のクリニックの敷地のことを簡単に書いたが駐車場奥にあった離れのような建物が、このお味見会の会場だ。
患者さんが気軽に集える場所が作りたいと、奥様の熱意に押されて建設されたものらしい。
向かい合わせにシステムキッチンがあって、広くて大きなテーブルが並ぶその空間は、ずいぶん以前に奥様から聞いた『一緒に作って、一緒に食べる』ための配慮がいくつもされていた。
笑顔で写真に収まる方々はご高齢の人が多い。
月に2回のお味見会は、この方々の大切な習慣で、なくてはならない拠り所のような場所だったのではないだろうか。
誰かにとってのそんな場所を作り上げるのは容易くないし、何より継続し続けるのはもっと難しい。
世話焼きスキルの高い奥様だから叶ったことだと思う。
奥様の逝去後、お味見会が開かれることはなかったから、この会が生活の一部に溶け込んでいた方々の喪失感は容易に想像がつく。
みんな笑顔で写る集合写真の端に、ひとりだけ笑っていない女性に目が留まった。
60台後半くらいに見えるとても小柄なその女性は、写っているどれも表情が乏しくて集合写真のどれを見ても、いつも端のほうか一番うしろに居る。
ほかの方々が楽しそうに写っているから余計に目について、写真ごとにその人を探してしまう。
「この方は?」
小柄なその女性を差して尋ねた。
「あぁ、なっちゃんだね」
なっちゃんと言う愛称で呼ばれる、その人のことを綴っておこう。
若い頃に乳がんを患って、その後も大腸がんを罹患し、術後しばらく長い療養生活を送っていたが晩年は心不全が悪化したりと、大病に見舞われる人生だったそうだ。
大腸がんの術後、県外に住んでいる息子さん夫婦を頼って引越したが、息子さんともお嫁さんとも折り合いが悪くなって、戸田さんが言うには1年経たずに家を追い出されるようにして地元のここに帰ってきたらしい。
それからまた安西先生のクリニックに通院することになったのだが、人が変わったように無口になっていて誰とも話をしなくなった。
世話焼きの奥様は当然そんななっちゃんを気にかけて、ちりめんの縫い物に誘ったり、お味見会に誘ったり、何度断られても、まるで初めて誘うかのように声を掛け続け、何十回目かの誘いを受けて渋々とお味見会に参加してくれた時には、奥様と戸田さんとでハイタッチして喜び合ったそうだ。
なっちゃんが初めて参加したお味見会は、なっちゃんの好物の茄子料理にして、お茶菓子もたくさん用意して、その日のお味見会は、なっちゃんのための会になった。
以降、院内の掲示板にお味見会の案内が出ると、なっちゃんは待合室で自分の手帳に予定を書いて帰るようになって、毎回欠かさず参加していたそうだ。
賑やかな輪の中には入らず、静かにそれを眺めているような過ごし方だったけれど、それでも自主的に参加してくれることを奥様はとても喜んでいたらしい。
秋が深まってきたある日。
なっちゃんの定期受診日だったのに来院しない。
連絡なく来院しないのは初めてのことだった。
心配した戸田さんが、自宅や携帯に何度も電話したが出ない。
その翌日はちょうど土曜日で、昼間の往診の帰りに安西先生がなっちゃんの自宅を訪ねると、玄関先でうずくまるようになっちゃんは息を引き取っていたそうだ。
すぐに警察も呼んで、唯一のご家族である息子さんに連絡をする。
なっちゃんの様子から、死後3日~5日は経っていたらしい。
「葬儀の手配もいろいろ大変だったわ。息子さん夫婦と事務長が大喧嘩してね」
戸田さんは苦笑いしながら、砂糖を山盛り入れたコーヒーを飲む。
(戸田さんのコーヒーはいつも砂糖味)
もう一度、アルバムのなっちゃんを見る。
いくつかの写真を追うが、やはりどれも表情のない顔だ。
そんなことをしていると、アイスマンが休憩室に入ってきた。
「お待たせしてすみませんでした」
市役所から戻って来たらしい。
「早かったね、事務長。もっとゆっくりでも良かったのに」
戸田さんが言う。
机の上に積み上げられたアルバムを見たアイスマンは、
「あぁ~、懐かしいもの見とるね」
「なっちゃんの話しとったとこ。ちょうど事務長と息子さん夫婦の喧嘩話をするとこやったわ」
「余計な話せんでいいよ。思い出すとまた腹が立つから」
アイスマンはそう言うとコップのお茶を一気飲みした。
腹が立つと言う記憶も一緒に飲み込むように、勢いよく。
外の雨は先程よりも強まってきた。
カルテ庫の隅でアイスマンと段ボールを組み立てている。
ガムテープを切る音と、段ボールを重ねていく音と、雨音と言うには強めに屋根や窓を打つ音。ふたりともに無言だった。
さっきから口を開かないアイスマンが何を考えているか知らないが、私はずっとなっちゃんのことを考えている。
ご厚意で見せてもらったアルバムの中に居ただけの、ついさっきまで存在すら知らなかった人が、波紋のようにどうしてこんなに私の感情を波打つのか。
その理由はもうわかっている。
写真の写り方が、私の母と良く似ていたからだ。
母も集合写真ではいつも端の方か後ろに写っていて、無表情ではないが笑顔でもない、そんな表情で居ることが多かった。
母の葬儀の際にいくつか写真を改めて見返したが、淋しそうな表情で端の方に写っているものもあって、たまらない思いになったんだった。
もともと口下手だったと思うけど、難病からくる構音障害があったせいで、遠慮して話しかけないような人だったから。
できないことも、苦手なことも、我慢することも、諦めることも、周りよりも少し多めにあった人だったから。
ついさっき知ったばかりのなっちゃんの佇まいが、遠慮がちに写真の端の方に写る母と、ほんの少しだけ重なってしまったのだと思う。
「何も聞かないんですか?」
急にアイスマンが話し出すから、それが私に向けられた問いなのか認知するのに間があった。
反応の鈍い私を待てず、更に畳みかけるようにアイスマンが言う。
「さっきの!なっちゃんの!!息子さんの話!!!!」
最後のほうは声が震えていた。
積み上がった段ボールの隙間からアイスマンの方を見ると、腕を目元にあてて・・・・あれは多分、泣いている。
「なっちゃん、かわいそうやったんですよ!!」
もう完全に泣いた。
いやいや。
泣きすぎやろ、この人。
こないだ一回泣いたから、もういいやってなってんのか?
「・・・・・・・・続き、聞いてもいいんですか?」
恐る恐るようやく、ひとこと返す。
今度はアイスマンからの返事がない。
・・・・・・・・・・・しばらく待ったが、ない。
遠目に様子を見ていると、とうとう号泣しだした。
喜怒哀楽が服着ている感じって、こんな人のことだろうか。
泣いたり、怒ったり、情緒がせわしい。
この日、次の予定が詰まっていたため、あいにく引き上げる時間になった。
泣き顔のままアイスマンは自席に座っている。
まるで私が泣かせたように見えるから、本当に勘弁してほしい。
「どうせまた勝手に泣いたんやろ?すーーーーーぐ泣くんやから、ほっといていいんよ」
戸田さんが小声で私に言う。
もう苦笑いするしかなかった。
「さっきのアルバム、また見せてもらえますか?」
「もちろん。いつでも好きに見てよ」
昇降口まで見送ってくれた戸田さんにお礼を言ってクリニックを後にした。
外は相変わらずの豪雨だ。
この日ひとつ、確かめたいことができた。
絶対見逃さない。
なっちゃんが残した欠片を探す。
“あのね、なっちゃん。
知らない誰かが撮る私の母は、あなたみたいにいつも端のほうか探すのも難しい後ろに居たんだけど、私が撮る母はまるで違う。
いつもフレームの中央で、母が中心で、子供のように無邪気に笑っている。
日頃、生活の中で私に向けてくれていた、私が大好きな笑顔の母が写真に収まっている。
これまで、母のことを端になんて写したことはない。
いつだってフレームの中央に、母を捉えていた。
だからね、なっちゃん。
あなたのそれも探したくなったんです。”