おしゃべりなおでん
もう何十年も記憶から引き出されることのなかった、子供の頃のことを不意に思い出す。
街にひとつしかなかったデパート(今だとショッピングセンターとか呼ぶけれど)の階段登り口にあったおでんコーナー。
どうしておでんだったのかは知らない。
フロアから5段ほど下に降りるとそれがあって、ドーナツ状にカウンター席がある作りになっている。確か脇にテーブル席もあったと思う。
その真ん中には大きなおでん用の鍋が3つあって、ふくよかでよく通る声の女性店員が注文したおでんを手際よく取り分けてくれる。
子供の頃はそのおでんを食べることが特別で、たまごやちくわをよそってもらうと家とは違う味付けのおでんを家族と一緒に食べた。
祖父母と母と私。カウンターに並ぶ。
ちょっと薄暗い一角にあったそれは、大人の秘密のたまり場のような雰囲気で子供心に高揚感があった。
その風景は随分遠い記憶として仕舞われていたものだが、母が逝ったあと思いがけず鮮明に現れた。
姿の見えない母が「こんなことあったね」と話しかけてくれた気がした。