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母の誕生日

今朝方、夢を見た。
これまで見ることがなかったのに、昨年亡くなった母が夢に出てきた。
母は楽しそうに留め袖の話をしていて、私はその話に相槌を打ちながら聞いていると言う夢。
目が覚めてからも母の楽し気な声の余韻が残っていた。

今日は母の誕生日なのだ。
ケーキが食べたくて夢にでてきたのだろうか。ちょっと母らしい。
だからと言う訳ではないけれど、例年通り母にケーキを買って帰った。

昨年の誕生日に古希のお祝いをどうするか話していて、その3日後に膵臓癌だと告知を受けた。
生まれつきの脊髄小脳変性症と末期の膵臓癌を患い、闘病ばかりの生涯だった母。
幸せだと思うことがどれくらいあっただろうか。
もっと親孝行したかったと言う後悔は相変わらず私につきまとっている。
母が旅立ってから今日まで、さすがにいい大人なので泣くことは減ってきて、スーパーで母の好きだった和菓子を見つけて涙ぐんだりすることもなく静かに買い物できるようになった。
忙殺された日々であっても月日は偽りなく流れるものだと改めて思う。

母の誕生日なのでせっかくだから、今日は母との思い出を書いてみよう。


この思い出は私が18歳の時まで遡る。
当時まだ存命だった祖母と母のもとから離れて、私は東京にある専門学校に通うため高校卒業と同時に上京した。
最初の半年間は学生寮に入ることになっていたので、入寮の手続きもあって母と一緒に東京に向かった。
その頃、母は仕事もしていてまだ一人で歩けたし、何より母も若かった頃に東京で暮らしていたことがあって、羽田空港から学生寮の最寄り駅まで道案内をしてくれた。
モノレールや山手線の乗り換えを教えてもらいながら学生寮まで向かった。
先に実家から送っていた荷物は学生寮の部屋に運び入れてあって、ふたりでそれを荷解きしながら「あれが足りなかった」とか「これを忘れた」とか「ちゃんと荷造りしたとね?」とか、母の優しい小言を笑って聞いていたのを思いだす。
学生寮から少し歩いたホームセンターに不足品を買い出しに行って、大きな荷物を持ってふたりで歩いた。
その時に何を話したとか、もうあまり覚えていないけれど離れて暮らすことになる母が生意気にも心配で、口にはしなかったがそんなことを考えていた記憶が朧げに残っている。
母が地元に帰る日の朝、私が母のことを気遣う言葉を掛けると「自分の心配しなさい」とか、母は笑ってそれっぽい事を言っていたと思う。

学生寮から徒歩7~8分のところにある最寄り駅まで母と一緒に向かい、短い会話の後、改札を通ってホームに歩いていく母の姿が見えなくなるまで見送ると、別に今生の別れでもないのに泣きそうになって駅を出てすぐ脇にあるスーパーに急ぎ足で入った。
無理をして上京させて貰って、自分で決めた進路で親元を離れることも解っていて、さみしいくらいで泣くのは違うような気がしたのだ。
そのスーパーで買い物かごいっぱいのお菓子を意味もなく買って学生寮に戻り、襲い掛かってくる寂しさから逃げるように頭から布団をかぶっていると思いのほか熟睡していたようで、母が自宅に帰り着いたと言う電話で起こされるまでぐっすり寝入っていて、母に笑われたのも良く覚えている。

らしくない可愛げのあるホームシックはこの日だけで、以降は学校と掛け持ちバイトに明け暮れる日々だった。
バイト代が貯まったので学生寮を4ヶ月くらいで退去して、自分でアパートを借りて一人暮らしをすることになって、また荷造りをする訳だが、母を見送ったあの日に買った大量のお菓子はずっとレジ袋に入ったまま手付かずで部屋の隅に置きっぱなしだった。
仕送りはいらないと断っていた勤労学生だったから、お菓子食べる暇も寝る暇もなかったと言えばそれまでか。

「麦ふぁ」と言うお菓子をご存じの方がおられるだろうか。
あの日買ったお菓子の中にそれがあって(当時、手当たり次第カゴに入れたので何を買ったか自分も知らない)学生寮最後の日の夜、部屋でひとりそれを食べてみた。
特筆することもないウエハースのお菓子で、こんなことでもなかったら口にする機会はなかったかもしれない。
けれどこの日の夜から、この「麦ふぁ」は思い出深い特別なお菓子になった。

私が住んでいる地域のスーパーではあまり見かけないのだけれど、たまにいつもと違う場所で買い物をした時に偶然見つけると、この一連の記憶が鮮やかに蘇るほど私には特別なものだ。

話は戻って大量のお菓子の行方だけれど、レジ袋ごと学生食堂のテーブルに置いて学生寮を出ることにした。
あの日の私のようにホームシックの誰かの心が、一時でも和めばいいなと言うそんな気持ちだった。

親元を離れて暮らしていた時のことを、母を亡くしてから思い出すことが増えた気がする。
初めてのバイト代で母にプレゼントを買って郵送したこと。
しょうもないことで喧嘩して電話に出なかったこと。
母からの小包がうれしかったこと。
年末年始に帰省すると、私の好物ばかり作ってくれたこと。
戻る日にはあれこれ持たせるので、荷物が増えて何気に大変だったこと。

思い出の中の母は元気で、いつでも良く笑っている。
些細な日常のどれもこれもが温かで幸せな記憶として残っている。
そう思える時間を母と一緒に生きて来たんだなと、そんなことを思った。

話の冒頭で「母は幸せに思うことがどれくらいあったのか」と触れたけれど、私と同じように思っていてくれたら嬉しい。
少なくとも記憶の中の母は幸せそうに笑っているから、その笑顔を拠り所にしたいと思う。