【小説】蝶はちいさきかぜをうむ 最終話
おじいさんが両手を広げて叫んでいるのが見えます。
おばあさんは、初めてこのお機械さま草原に来たときのことを思い出しました。
待ちに待ったお機械さま草原がその姿を現したかと思うと、どんどんどんどん近づいているはずなのに大き過ぎて、広過ぎて、ちっとも近づいてこないとヤキモキした瞬間。
近づけば近づくほどにその広大な懐を広げて気球商団を迎えてくれた草原。
どこまでも続く大地。
喉の奥からぎゅうぅっと何かが込み上げて来そうになりました。
なんだ、これ。
涙、出そう。
大きな大地に飲み込まれそうな感じがして、
くらくらとしたとき、お機械さまからひとりの青年が出てくるのが見えました。
眩しそうにたくさんの気球船を見上げ、
両手を大きく広げて、
気球の上からでもわかるぐらい大きな笑顔で手を振りました。
眩しいのは、あなただわ。
そう、思いました。
まるで大樹のような青年が、大地のようにやさしく心から気球商団たちを迎え入れてくれていることがわかったからです。
大きく広げられた両手の中に飛び込んでいきたい衝動に駆られましたが、自分がいま気球の上にいることに気がついて、あやうく踏みとどまりました。
そうして、にんまりと笑って大きな声で挨拶をしました。
わたし、この大地に、根を張ろう。
そう決めました。
全身に止まっていた蝶が一斉に飛び立ったのかと思うほど、つま先からほっぺを伝って頭のてっぺんまで、身体中の毛が逆立つのを感じました。
生まれた時から気球で育ち、地面はいっとき休むための場所だと思っていました。
でも、この草原を見たときに、あの青年を見たときに、わかったのです。
わたし、ここに来るために、気球に乗っていたんだわ。
あの日のように、おじいさんは大地から両手を振っています。
おばあさんは、にんまりと笑いました。
そうして、少女と少年にウィンクすると、
ベンチからぽーんと飛び降りました。
「おっ!おばあちゃんっ!」
咄嗟に空中で手を差し出した少年の手を、
パチンとハイタッチして、おばあさんはひゅるひゅると落ちていきます。
「おばあちゃんっ!おばあちゃんっ!」
少女が真っ青な顔で叫び続けます。
ひゅるるるるるるるるるるる
ぽんっ
おばあさんの背負っていたリュックから、小さな気球が飛び出しました。
パラシュートのような小さな気球です。
「そ、そんなもの、いつの間に作ってたのぉ?」
「と、とにかく、着陸させよう!」
少年にそう言われ、少女は必死で綱を握り、
風ソリをコントロールします。
ひゅるん ふわっ わわ〜 ふわん
おばあさんは、ゆっくり、ゆっくりと
おじいさんの腕の中に降りて来ました。
おじいさんは、ふわりとおばあさんを受けとめると、涙でぐしゃぐしゃになりながら、
ぎゅうぅぅぅぅぅっと、おばあさんを抱きしめました。
おばあさんも、ぎゅうぅぅぅぅぅっとおじいさんを抱きしめて、
「たるぁ、い、ま」
と言いました。
おじいさんは、目を丸くして息をするのも忘れたようでしたが、またボロボロと涙を流しながら、
「お、か、えりぃ」
と言いました。
『ご乗船のみなさま、当船はまもなく、お機械さま草原に着陸いたします。
お降りの際は、お忘れ物なきよう、ご注意くださいませ。』
お機械さま草原にずざぁぁぁっと着陸した連絡船からは、たくさんの人たちが降りてきます。
みなそれぞれに、お弁当や敷物を手に随分と楽しそうです。
こどもたちが大きな声で笑いながら草原を転がり回っています。
ひとりのおじいさんが、街長に手を引かれてよろよろと降りてきました。
そうして、お機械さまの番人であるおじいさんを見ると涙をぼろぼろと流して近づいていき、ふたりはぎゅぅぅっと手を握り合いました。
「街長さんがやりたかったことって、これかぁ。」
「それもこれも、君たちのおかげだよ。まさか、こんなに早く実現するなんてね。ありがとう。」
「このあいだ、街の大工さんがお風呂を作ってくれたんですって。おじいちゃんすごくよろこんでたわ。」
「街にもまた気持ちいい風が戻ってきたからね。止まっていた工場や農園も復活したし、街は活気にあふれて街民たちは大喜びだよ。
そうして、このお機械さま草原に行ってみたいという街民たちの要望も多かったんだ。
あの金色に輝くお機械さまを間近で見てみたいっていう意見が増えてね。
うん。実に神々しい輝きだね。
君が洗ったんだろう?」
洗い屋の少女はえへへと笑いました。
「本当に、ありがとう。おかげで、私も祖父の願いを叶えることができたしね。
そうそう。君の吹く、風切笛の音色も名物のひとつなんだよ。風切笛がなければ、この連絡船は実現できなかったね。」
街長が少年にウィンクしました。
少年は照れたように、近くの風をわしゃわしゃと撫でました。
風ソリが無事に着陸した日。
風飼いの少年と洗い屋の少女はほっとしたのか
みんなでご飯をたべたあと、
おじいさんが用意したベッドに倒れ込むように眠ってしまいました。
おじいさんとおばあさんは散歩に出かけました。
雨がたくさん降ったあとの草原に夕焼けが映って、まるで夕焼けの中を漂っているようです。
ふたりは草原に腰かけましたが、おばあさんは自分がここにいるということが嬉しくてたまらないのか、すぐさま立ち上がり、とんぼ返りをしたり、バク転をしたりして飛び回っています。
おじいさんは、そんな元気なおばあさんの姿をまた見られたことが嬉しくて、またもや目が熱くなって来てしまい、恥ずかしくて少し俯きました。
ずぼっ
突然、おじいさんの脇の下に後ろからおばあさんが仔犬のように頭をつっこんできて、えへへとおじいさんを見上げています。
おじいさんは笑いながら、そのままおばあさんの肩に腕を回し、遠くの夕焼けを見上げました。
「は、…は、ぃる、…たぃ…」
風に吹き消されそうな小さな声でおじいさんが呟きました。
おばあさんはびっくりしておじいさんを見ましたが、おじいさんはじっと遠くの夕焼けを睨んでいます。
おじいさんの耳も首も手首も真っ赤になっているのを見て、おばあさんはにっこりと笑って
おじいさんの肩に頭を預けて
「はぃる、たぃ」
と言いました。
近くで蝶を追いかけて遊んでいた翅無猫が
びっくりしたように振り向いて
みゃう〜ん
と言いました。
おしまい
作 なんてね
ちょっぴりあんこぼーろ