【小説沙門清正_宗像周遊編①】宗像にて歴史の残像をみつめる。
清正が遠路はるばる福岡まで来たのは、清正が所属している予備校の社員である宗像に誘われたからであった。
「宗像という名前は、あの宗像大社と関係があるんですか」と清正は初めて宗像と名刺交換をした際に尋ねたものだった。宗像の大宮司氏は実際には戦国時代には途絶えており、そのことをわかっての問である。実際のところ確かめたかったのは、血筋ではなく、人柄である。
「いや、その辺りよく分かっていないんですよ。ですが実家は宗像ですし、古い家とは聞いています。なんでも戦国の折には、朝鮮出兵をする日本軍の一時的な逗留場所にも使ってもらっていたようです。」宗像は清正の問に間髪いれずに答えた。日々の労働で細くやせてはいたが、学生時代に柔道をたしなんでいたというその体はつるされたマリオネット人形のように上下に貫かれたような直立の姿勢を保っていた。
「なるほど。かの神功皇后が三韓征伐をする直前に宗像大神に神助を賜ったとの故事があります。そういうことがあってもおかしくない御家柄ですな」清正は宗像氏が豊臣秀吉によって改易された史実についてはあえてふれずに宗像の発言に応えた。そうであれば、「宗像氏が豊臣秀吉によって勝利に導かれた朝鮮出兵の世話をする」ということは考えづらいのだが、あるいは宗像氏の女を嫁にもらった家のうちの一つが宗像氏を名前の上では受け継いだのかもしれない。
そういえば筑紫某というものが宗像氏の嫁をもらい豊臣につかえ朝鮮出兵にも貢献したはずだ。その後、子孫のうちの一人が宗像氏を名乗ったとしても特に詐称だと断定する材料はないだろう。清正は一瞬のうちに頭の中でそれだけのことを確認しながら、友好的な笑みを宗像に返した。筑紫某であれば、清正の先祖だと密かに先祖から伝えられていた加藤清正の部下にも、一時的にはなっているはずだ。もっとも目の前の男がそれを知るはずがなかろうが。
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