【小説沙門SEISHO】沙門SEISHO、不忍池で着流しの烏に会う
その日、京浜東北線の御徒町駅を降りると、ほどほどの雑踏の中をかき分けながら、不忍池に向かった。
特に何かをしようと思ったわけではない。当時、文京区の弥生町のあたりに住んでおり、丸の内近辺に勤めに出ていたので、すこし遠回りをして御徒町の駅に降り、不忍池のあたりをぶらついて帰っていくのが定例のコースだったのだ。
時間があるときはさらにいっそう遠回りをして、西郷隆盛の像を見てから帰ることもあった。翁の生前の妻である糸からは「夫はこげに着流しで人前にたつような無礼な人ではなか」と不評ではあったと言われるが、リラックスしているように見えるその着流し姿は、翁の広量な器を表しているようでもあり、たびたびみても飽きのこない、人間そのものの美しさがあった。
西洋の筋骨隆々とした、角張った印象を受ける銅像とは違い、丸みを帯びたそのフォルムは、自然との共生を志向する、古き良き時代の東洋の自然観に浸らせる。自然破壊と自己肥大化を特徴とする、大陸的世界がこの国に浸食しはじめた時代の名称のもとになった、この弥生町を睥睨するような形で、この代表的縄文人の像が立っていることに、運命のいささかの皮肉も感じる。
上野には外国人の姿が散見し始めたころであるが、一方で自国民でありながら、スーツにネクタイという西洋人の猿真似のような滑稽ないで立ちで、朝晩満員電車に詰め込まれている日本国籍のものたちももちろんいる。彼らが仕えている先と言えば、株主という、国籍すら不明の、非匿名で、身勝手で、移り気な、いなごのような何かだ。このような憐れで惨めな敗戦国の猿たちを、西郷隆盛の黒水晶のような瞳はどのように見るであろうか。その目に映るのは、国を失ったことの無念さであり、あるいはそれをおしすすめてきたトライ系の上級国民たちへの憎悪、そしてそれを見過ごしてとめることのできなかった彼の後継たちへの憤怒であろう。そのようなことを考えていたある夏の夕下がりの話である。
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