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芸人時代、最もダサいと思っていたことを始めた。

お笑い芸人をしていたときのこと・・・と言ってももう5年前のことですが、そのころダサいなぁと思っていたことをとうとうはじめたので報告と日記。

もちろん自分は面白いって信じ込んでいたし、自分がやっていることで笑いが取れなくても続けていれば仲間も増えるし、何とかなるってどこかで思っていました。でもひょんなことで辞めちゃうんですけどね。辞めなきゃよかったのかな。

自信をもって続けていたお笑いで、もともとは漫才をしていたけれど、就職して兼業していたこともあり、最後の1年は周りに迷惑かけないようにとピンで漫談。漫才に限っていえばもう5年以上していないんだなぁ。

自分を振り返ることをこの何年か全くしてこなかったので、頭の中で必死に思い出してみた。

お笑いをはじめたのは大学のときで、大学を出て、就職したとき一度辞めた、もともとそれを利用しよう!と思って活動していた節もあったし、自分よりも面白い人がたくさんいたから。それで働いていたらお店に相方が来て、そうしたらそれとなくお笑いをまたはじめていた。不思議だけどそれが人生を変えたと思う。

それで活動を再開、ただ精力的に動きたい相方とは方向性が合わなくて、解散。ピンで活動することに。それはお互いに優しかったからだと思う。そのあとに相方が組んだコンビは自分たちのネタを流用してたくさんの笑いを取っていた。こそっと自分の表情を伺うほかの芸人、ファンもいたけど、自分も素直に嬉しかった。

ピンになってからは、自由度が増したのでサラリーマンなりの公休を使いながら、本業と全く関係がない会社のイベントを手伝ったり、遠方のローカルイベントに参加したり。活動は地味になったけどそれはそれで良かったのかな、と今では思う。

かなりマイペースな活動で、それでもお笑いの活動をなんとか続けて、いつかプロに、という思いがあったけれど、腕を上げたいがために少し自分を追い込んでしまったことが辞めるきっかけになってしまった。いま思えば別にどうということではなかったけど、辞めてしまったことは必然だったのかな。

・・・とまぁ、大学卒業以降のお笑い関連はこんな感じかなぁ。またまとめる機会があればちゃんとまとめたいな。

最近気になるのは大学卒業のところで使った「(いい意味で)利用する」って考え。

これは今の仕事でも使えるんじゃないかな、と思ってる。「大学時代お笑いをしていた」と言えば面白がってくれる人はいるはず、と思って就職したから今度はそれからの時間が未来の可能性になるんじゃないかって・・・まだ考え中だけど、面白そうな話があったら教えてください(笑)

あ、最後になりましたが、本題に戻ります。

ワタシがダサいなぁ、と思っていたのは「面白さを説明すること」。だって「花火のような笑い」が鮮やかでかっこよくて、それにあこがれてお笑いをはじめたはずなんです。野球なら「ホームラン」のようなもの。だから笑いが起きないからってなんで面白いか説明するの、ダサいです。笑いの強要だし、こんなにかっこ悪いことはないですよ。

んで、最近それをはじめました、ダサいこと(笑)ワタシの仕事は数字にしたって効果にしたって、なんとも見えづらくてそれでどんな影響を及ぼしたかがよく分からない。担当している自分がこう言うから伝えるのはもっと大変で、必要性はわかってくれるけど調子の良し悪しは全く分からない。だから自分で「調子いいっす!」とか「全然ダメっすわ。。」とか言わないとダメで、それが悩みなんですよね。

だから「これをやるとこういう反応があって、それはワタシがこう言ったからそれがよくて・・・」「この日こういうことがあったからそれを踏まえてこういいました・・・」・・・超ダサい。花火のようにはじけろよ。じわじわと導火線に迫って爆発しろよ。・・・これが自分の今いる世界。あぁ、お笑いやりたい。というか何かを変えてもっと輝けないだろうか。そりゃ面白くないときもあるでしょうよ。でもそれが伝わらないってさぁ。あぁ、できることなら渾身の花火で花火小屋を爆発させてしまいたい。(・・・あ、その花火小屋は会社で、会社に面白いが伝わる人がいたら爆発するのでねその・・・。)

経歴まとめようかと思ったらここ何年かとんと何もしてない疑惑。気合い入れないと。油断すると指示で動いてばかり。やりたいことやれてないってことやな。

芸人、人を笑顔にする仕事、思い出したいよね。今それが一番足りてない気がする。

最近いろいろ考えるけどひとりでやるの大変。。会社にいると楽よ、指示で動くのすごい楽。だけど結局は自分のキャリアになっていく。だから利用してやる、くらいの気持ちが大事なんだろうな。

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