コスパ・タイパを追い求める副作用
気がつけば1年以上投稿してませんでしたね。
この間も、過去の記事を読んでくださった方が結構おられ、うれしく思っています。
時期が来たら有料にしようかと思っていた記事もありましたが、ボチボチとニーズがあるようですので、このまま無料にしておこうと思っています。
・・なんて導入からですが、こういう挙動をすると
「先生、コスパの悪い仕事をしてますね」
とか言われたりします。
あるいは、直接言われることはあまりないですが、タイパを気にする方もいますよね。
そういう方からすると、時間をかけて作文して、誰が見てくれるか分からないようなところに投稿するような啓発の方法はタイパが悪いと思われるのかもしれませんね。
「有益なことだけ短時間でやって無駄なことをそぎ落とす」
そうすることがカッコいいみたいな風潮を感じる最近ですけれど、これって私にはすごい疑問なんですよね。
コスパ・タイパ至上主義って、超刹那的な考え方だと私には思えるんです。
勉強において、仕事において、人生において、何が有益で何が無駄か。
そんなこと、判断しているその時点では分からないんじゃないかなあ・・。
コスパ・タイパ至上主義の考え方の根本には、
「今消費する労力に対して今得られる金銭」
という超シンプルな物差しで行動の価値を測定しようとする考え方があるように思うんですよ。
でもそれって、本当に唯一無二で最強の物差しなのでしょうか?
で、最近の医療業界もこの考えにかなり蝕まれてる感じがして、ちょっと憂いでいたりします。
若いうちから「楽して儲かる」勤め先を転々とする医師や看護師が、自身のことを「ハイポ」とか称してSNSで「コツコツやるなんて馬鹿馬鹿しい」と書いているのを見ることも増えました。
そういう方って確かに、さぞかしコスパ・タイパが良いでしょうし、多分こんなタイパの悪い記事を読まれることもないと思いますね(笑)
確かに、医師免許や看護師免許を持ってることで、今消費する労力に対して今得られる金銭は最大化されてるかもしれないですね・・。
ただね・・
今コストが見合わないことや、時間の無駄に感じること、これらを徹底的にそぎ落とすと、その代償として、幅広い経験を得る「機会」を捨てまくるという副作用が大きいんですよね。
実は「機会」ってとても貴重で、その貴重さは、普通に与えられている時には気づきにくくて、年月を経て振り返ってこそ気がつくものだったりもするんですよ。
しかも、そもそも「機会」は平等には与えられていないので、与えられた時点で与えられていない人に比べて相当なアドバンテージを持っているんですけど、それを捨ててコスパ・タイパ至上主義に突き進むってもったいないなあ・・。
「機会」とは、将来のためにインプットを増やす余裕
ってことだと私は考えています。
今すぐには労力が金銭に結びつかないことでも、周り巡って将来に生きることがいっぱいあるんですよね。
しかも、将来の世界が今想像しているような展開通りに向かっていくとも限らないわけですよね。
繰り返しになるけど、何が有益で何が無駄か、なんて、判断している時点では分からないことだらけです。
だから・・
できるだけ幅広い経験を、時間と体力の余裕があるうちにやっておく。
幅広い層の人と知り合って、いろんな価値観や考え方に触れておく。
別に仕事だけの話じゃなくって、遊びとか、旅行とか、何でもインプットできることはインプットしていく。
そういう「機会」を捨てるのって、もったいないよなーって。
そうそう、こう書くと、
「選ばれた人しかできない経験をすること」
「ステータスのある人と知り合うこと」
「セレブな海外旅行に行くこと」
とか、多くの人が経験できないことをできる「機会」を自分は持っているから、コスパ・タイパのいいインプットができるんだ、みたいなマウントをとる方もいたりします。
うーん・・そういうことじゃないんだなあ・・
「今消費する労力に対して今得られる金銭」
これ以外の物差しを、いろんな場面で探してみてほしいなって思うんです。
安易なコスパ・タイパ至上主義に染まることで将来に自分が立たされる状況には、もう少し想像力を持った方が良いよ・・。
特に、今「機会」がせっかくたくさん与えられているのに、それをどんどん無駄にしているような方こそ、そこに気づいてほしいな・・。
なーんて考える老婆心満載の49歳男であります。