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私の生きている証


私の葬式では、みんなに楽しく過ごしてほしいと思うのは変わっているだろうか?

私を好きでいてくれた人たちが、みんな一度に集まって、私との日々を想って、私に会いにきてくれる。こんな幸せなことはないと思う。

日々を想い出し、涙することはあるだろう。でも死というのは運命であって、誰しも訪れること。どんな死に方であっても、何歳で死んでも、みんなが私のために時間を作ってくれるのならば、私なら歌や踊りや、自身で考えたくだらないゲームや漫才などで盛り上げたくなる。

私がこんな考えを持ったのはここ数年だ。昔から楽観的だとは言われてきたが、私は悪いことではないと思う。決して物事に向き合っていないわけじゃない。逃げているわけでもない。むしろ、死について向き合った時、こう想いが強くなったということだ。


そんな私の考えたこと、想ったこと、忘れたくない想い出をここではつらつらと書いてみようと思う。

私が生きている証として。

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