奇跡って信じる?
英語の先生が言った。
“Do yoy believe in miracles?”
「奇跡って信じる?」
その後すぐに信じるか信じないかで手を挙げてと言われたけど、咄嗟のことで私はどちらにも手をあげられなかった。
多分その時の私の頭の中は、奇跡?それって信じるとか信じないとかいうものなの?だったと思う。
私はこの世の全部が全部理屈にそっているとは考えていない。でも私の興味をひく多くのモノは理解したいと思うから、その理屈を考えることは多い。
でも「奇跡」という言葉もまた程々に使うと思う。
奇跡を信じるとはどんなことだろうか。
小さな可能性はほとんど起こらないものと信じて、そしてその可能性が起こった時には、それがそれほど珍しい、奇跡が起こったからだと信じることだろうか。
なら奇跡を信じないとはなんだろう。
どんな小さな可能性でも起こりうることはあると信じて、その可能性が実現した時はそれを奇跡とはみなさず、その可能性の低さを疑うか、そういうものとして頷くのだろうか。
私がどちらに当てはまるんだろう。
私は大抵、奇跡だと言われることでもあまり驚かないと思う。それは奇跡と呼ばれるほどの物事にではなく、そんな奇跡が珍しく起こったことに対して。
奇跡の他に、偶然とか考えていなかったことや予想外のことなら、身近な日常でもテレビの中でも、教科書の中にでもありふれている。
こうみると奇跡は、こちらがどこまで予想・想像できたか、どこまで知識・経験があるかでその奇跡の大きさというか凄さというか、そういうものは変化するのではないだろうか。
私は頭も良くないしこういう言葉の意味を考えることは得意でもないが、
もしもう一度「奇跡を信じる?」とそう聞かれたら、「信じたくない」と答えると思う。
それは奇跡はあっても、知りたいと思ってしまうから。もっと色んなことを想像し続けていたいなと思うから。
こんなだらしない理由で構わないだろうか。