何かを否定しなければ、賛成できなくなってしまった
今日は夏休みの課題のひとつ、税の作文というものを終わらせる予定だった。
税の作文とは、税の意義、役割について考えたことなどを自由に書く作文だそうだ。
この課題が出されてとき、先生はこれに加えて税に対する肯定的な意見を書いてくださいね。
わざわざ自由と書いておきながら後から肯定的な意見とそう限定されたことは少し不服だったが、まあ否定的な意見を書かれても困るのは当然か。
しかし肯定的な意見を書くということは、否定的な意見を書くより難しい。
あまりこれといった理由がまだ見つけ出せてはいないが、
何かに対して肯定的な意見をもつということは、つまり賛成している、同じような意見、立場であるということだろう。
なら、自分と似た考えをもっている人を賛成するのは簡単かもしれないが、それを人に説明するためには、自分と対極である立場の意見まで理解する必要がある。 それは物事を客観的に見るという意味でだ。
一方で否定的な意見を書くことは、反対をするということで、反対をしている時点でそのものに対してもうすでに違う立場に立っているということだろう。だから人にそれを説明するとき、自分の意見を言うだけでも納得がついてしまうと私は思う。
だからこうやって初めから肯定的なことを書きましょうと言われるのは面倒だ。
私にはただ賛成することができなかったから、税に対して否定的な人達の意見を利用して、それらの意見、思想に反対するという形でどうにか作文は書き終えた。
そうか、否定することは簡単なことか。
そう気づいた今日だよ。
いつからただ気楽に良いと思うことを良いと言えなくなったのだろうか。
なんだか私もつまらない人間になったものだなあ。