【山月記】なぜ李徴以外は猛獣とならなかったのか

 授業で始まって今日やっと終えた山月記だ。

授業の終盤、その中に「人間は誰でも猛獣使いであり・・・」そして李徴自身は尊大な羞恥心が猛獣で虎だ。
 これに対し先生は問いかけた。
誰でも猛獣使いになれるなら、なぜ李徴以外は猛獣にならなかったのか、と聞いた。

 私は山月記を一読した時、その答えはもう既に出ていたから、それをただ整理した。

 タブレットで意見を提出し、しばらくして他の人の意見が名無しで公開された。

 多くの意見は「他の人は人との交わりを絶っていないから」だそうだった。というのも この課題をやるちょうど前の授業で、李徴がどのような人たちとの交わりを避け、それが何によるものか。そんな話をしていたから、それに寄ったものからだろう。

 私の解答はといばこうだ。
 「李徴は臆病な自尊心と尊大な羞恥心を抱えていることに気づいて、多くはそれに気付かないふりをするが、李徴はそれを知った上で、無意識に自ら猛獣となることを望み、その現実から逃れようとしたから。」

 質問内容には直結しないような解答になってしまったが、先生は良い着眼点ではあると仰った。

 そう、他にも「李徴のプライドが高すぎたから」そう答える意見もあったが、私はそんな所は重要でない気がしてならなかった。

 なぜなら私はいろいろと周りの目を気にしてしまう人間であるが、自分の性格、容姿、能力、これらの自分の姿に対することにはどうやら自信がある。何かに対する自信と言うよりは、それらを好きになれる自信だ。そう、私にも同じようにプライドがある。

 ただ李徴は博学才穎というように、私には到底届かないような能力を持った人だ。同じようにプライドも高まっているだろうと推測はあっても、プライドの高い人間など彼に限られた話では無い。

 それにいくらプライドの高い李徴でも、薄々とその自尊心の大きさがゆえに その事には嫌でも気づいているだろうと思えてくる。それはこの私にもそう思う時があるからで、それほど賢い李徴にそれが出来なかったようには私はどうしても思えなかった。

 それに李徴のプライドが大きすぎるなら、李徴を除いた他のものはそこまでのプライドがないということで、なら自らの自尊心の大きさに気づくほどでも無いだろう。彼らは自分の 比べて小さな自尊心、羞恥心などに気づく必要は無い。そんなものに気づいたところで、また自分が傷つくだけだろうから。

 そんなことを考えた上で私は、長ったらしい李徴の過去の自分を強く非難する様を見て、李徴の態度に対し、まるで罰のようになるべくして虎になったと言うよりは、自ら望んだ末にたどり着いた姿だと思えたのだ。と。

 以上が私の、李徴の他の誰しもは猛獣にならなかった理由だ。李徴だけが自ら虎になることを望んだのだ。

 最終的に多くの人から言われている意見とは外れたものだったが、これが私の率直な感想だ。

 やはり自由な解釈が許される小説は気楽だ。

 あなたは猛獣になりたいか。


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