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短編小説『風と帰り道』
ビルの背後に赤い残照。
その先は紫、そして闇。
闇に抱かれた一等星が、ぽつり、ぽつりと瞬きはじめている。
十六夜の月にかかった薄雲が、淡い虹色の円を作る。
地上では、蟻の群れより多くの人たちが、帰路を急いで行き交っている。
まるでどの建物も背比べをしているような、幾何学的な都市の街並み。
風だけが自由に、空も地上も吹き抜けていく。
目を閉じれば、風になれるような気がした。
「ただいま」
と、低くても笑みを含むかのようなやさしい声音が頭上で聞こえ、驚いて目をあけると、すぐそこに幼馴染の顔があった。
背が高いので腰をかがめて、目線を合わせている。
「こんな場所で寝るなよ」
注意するというより、心配そうに声をかけてくる。
今日は専門学校で、くだらないことで友達と言い合いになって、家に帰るまえに心を整えたくて、駅のそばの広場のベンチでひとり、月を見ていた。
「寝てません。目を閉じてただけ」
「疲れてるのか?」
見慣れないスーツ姿で気遣ってくる幼なじみに、疲れているのはそっちでしょ、と、思いながら苦笑する。
同じ高校を卒業したあと、彼は就職した。
今は、忙しくしている真っ只中だろう。
「そうだ。なんで、ただいまって言ったの?」
幼馴染は、一瞬目を丸くしてから、笑った。
「なんでだろうな」
今日は月が綺麗だな、と、空を仰いだ。
「ね。綺麗。よく見てみて、周りに虹色の輪があるんだよ」
「ほんとだ」
二人はそろって月を見上げる。
風がすり抜けていく。
目を細めた幼馴染の横顔が、ずいぶんと大人びていて、知らない人のようで寂しくなった。
「おかえり」
なんだか急に、そんな言葉がついて出た。
幼馴染は、見慣れた、うれしそうな笑顔になって「うん」と答えた。
風は気まぐれに通り過ぎていくけれど、月は太古から変わらないあたたかな光を投げかけている。
風は自由にどこにでも行き来できる代わりに、帰る場所をもたない。
いつまでも緩くつなぎとめておきたい、やさしい気持ちや、あたたかな想いは、どうすればよいのだろう。
幼馴染は、すとんと隣に腰かけた。
「気が済むまでここにいていい。だから、一緒に帰ろう。方向同じだし、家まで送ってく」
「ありがとう」
笑顔を返す。
心が満たされていく。
駅のホームの反対側の繁華街の喧騒と、静寂に満ちた空と、隣の幼馴染。
いろんなものがごったになって、複雑な陰影を作り出している。
変わりゆく景色を、風が通り過ぎていく。