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短編小説『ちいさな世界』

私の知っている世界と、ここにほんとうに存在している無限の世界は、重なってはいても「同じ」じゃない。

大学を卒業して、私が最も強く感じたのは、そんなことだった。

そこには、私には到底なれそうにない、思考に深さと広がりをもった、知の巨人のような人たちが、沢山いた。
どうしたって読み切れない程の本があり、何回生まれ変わろうと学びきれないだろう学科ばかり。
この人生で、私が知り、理解し、感じることができるのは、広くて果てない世界の、ごくごくほんのわずかなのだ。

私が、この世界の何かを知った気になれば、この世界はきっと、私をからかって笑うだろう。
「そうか。それで君は、私の何を知っているつもりなのだい?」と。
私は、私の知りえる範囲の、小さな世界を生きている。

窓の外を見ると、小学生たちがはしゃぎながら通り過ぎていく。手にあるのは卒業証書だろう。
今年は開花が早かったから、桜に見送られながらの卒業式か。

文鳥のマーリンが、私の手にとまって顔をのぞきこんでくる。
「君は今、何を考えているの?」
私はそんな風に、つい言葉にしてしまう。
もしかしたら、マーリンも同じように思って、私のそばにいるのかもしれない。

大学の新入生のころ、認知心理学の授業で、「どうぶつに、こころはあるのか」という、課題が出た。
私は、その課題自体に、衝撃を受けた。
どうぶつに心がないかもしれないなんて、疑っているのが、ここでは普通なのか?と。
彼らは話せないだけで、いつだって生き生きと、いろんな姿で、感じていることを、一生懸命、表現してくれるのに?
こころが、ないって?
ここで言われているところの、こころって、一体なんなんだ?

文鳥のマーリンは、よく怒る。
くちばしに指を近づけただけで、ぎゅるるるると威嚇してくる。
わざと怒らせて遊びながら、そんなことを思い返した。
外では子供たちが、私の知らない卒業の歌を歌っている。
時代が違うと歌も違う。
たとえ知らない歌でも、旅立ちの歌は、切なくて未来の希望に満ちている。
子供たちの未来を想ってつくられた歌が、愛おしい。

ひとりひとりに与えられた、人生という、ひとつきりの世界を想う。

幼いころの私にとっては、どうぶつも、木も、空も、星も、風も、友達だった。今だって、肩にとまって得意げに鳴くマーリンは、こころからの友人なのだもの。

私の生きるこの小さな世界で、もし守れるものがあるのなら、そういう在り方であるといい。

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