変わらぬもの
「…疲れた……」
弱音をこぼし、俯き、縮こまる。そして延々と曖昧な何かを考えつづけ、気づけば弱音の元を忘れている。
物心ついた時からそれを何度も繰り返してきたが王に仕え始めてからは違った
「なら呑みに行かぬか」
こうしてすぐ声が飛んでくる
この声はいつも近くをまとわりついている
我は目が見えぬ故に基本警備などの仕事は1人でこなしている
近くに気配を感じればすぐに気づくがこの声だけはどうも近づいてもいつ来たのかどこにいるか分からない
いつもは無視していたが、何故か話してみたくなったので間を置いて応える
「………良い酒はあるのか」
静寂が生まれる、がすぐにそれは死ぬ
「もう持ってきとるわ」
きゅぽ、と栓の開く音が響く
「始めて応えてくれて嬉しいぞ、いつも声をかけてもお主はそのまま眠るかうずくまっておるからなぁ」
酒を注ぐ音を聞いていると声は不満げに呻く
「……飲むんだろう、杯を持て。はようせい、ほら」
杯を持つとそこに酒が注がれる、なみなみと注いだのか数滴手に落ちる
良い香りのするそれを一気に飲み干す
よく冷えたそれは喉をつぅと通り抜け体の底へ落ちていくのを感じることが出来るほど美味なものだった。
「なんだ、無愛想かと思っていたが良い表情もするもんだなお主は」
声はそう言うと心地よい笑い声をあげた
そこから幾度か飲んでは少し話すを繰り返して頭も回らなくなってきた頃
「我は……ここに居ていいのだろうか」
愚痴を吐きたくなった
どうせこの声とまた出逢うのかも分からんし、そもそも顔も名もなにもかも見えんのだから全て打ち明けてしまえと、そう思ったのだ
するとヤケか酒の勢いか愚痴どころか全てを吐いた
妻…ミタマの自慢話、ミタマを失った日の話、ミタマを襲った山賊を殺し尽くした時の話、その後生きていると知ったミタマを探し回った日々、自分を人ならざる者だと知ったこと、子が立派に育ち旦那を貰っていたこと、止まることなく話したが声は遮ることなく、相槌だけを打っていた
「…我は敵を討ち、よくやったと言われる度に嫌悪が走る。よくぞ守ったと言われようとお前は英雄だと言われようと、目の見えぬ我からすれば、癇癪で山賊を殺し尽くした頃と感触と変わりがないのだ。だと言うのに我はここでお前と酒を飲みあろうことか幸せを感じてしもうている……我は…」
「…1つ、良いだろうか」
初めて声が話をさえぎった
「その…お主の心の話はどうにもできん、お主の問題だ。だがな、その…幸せになるならないは良くも悪くも自分で決めるものじゃないと思う」
「お主は過去の自分の誤りを、さぞ悔いている事だろう無理もない…だが今人を助けていることも事実なんだ、お主に助けられた者はお主に幸せになって欲しいと願っている…助けた者としてお主はそれに応えなければならないんだ」
「…だが…ミタマを、愛する者を失った今、我はもう…」
「…その奥さんは死の間際お主になんと言った、自分無しで幸せになるなど許さないとでも言ったのか」
否、ミタマは幸せになって欲しいと我に伝えて逝った
辛かったろうに、我を呪いたいだろうに、震える声でそう言い放ったのをたった今思い出した
「我はなぜ…忘れていたのだ」
ミタマの事を誰よりも知っている我がミタマの願いを忘れていては本末転倒だろう
「まだ飲むか?」
「…あぁ飲もう、夜が明けるまで飲んでしまおう。今はそれがいい」
「そうだなぁ。して、今更だが名はなんだ。聞きそびれていた」
「ノヴァだ、ノヴァと言う。」
「そうか俺は━━━━」
「あれから随分経ってしもうた…待たせたな旧友よ。あれから我はこの世を、幸せを謳歌している。それも全てお前のおかげだ。……さて、今日は夜が明けるまで飲もうぞ」
栓を開け、注ぎ、飲む
「あの時と変わらず美味い酒だ…そうだろう?」
墓代わりの木の前で1人呟いてみる
今、耳元で声がした