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既定路線を行けという圧力

「これでみんな結婚できたね!」
と屈託のない、本当に嫌味のない顔でいう友人。

その場にいた他の友人も、
「○○は何歳で結婚して〜、○○は何歳で〜。私たちって結構、優秀やんな!」

その"優秀"とやらに、
私を入れないでくれ、とまで思った私は、
ひねくれ者なのかもしれない。

他にも、
「この子は、運動が全然なんで・・・」
と我が子のことを紹介していた方のお家のカレンダーには、

「ピアノ」 「たいそう」 「発表会」「ばあば」

の文字。
たったの1週間のうちに、これだけの予定が詰め込まれている。

まるで社会人の手帳のような、
保育園児の家のカレンダー。

毎日「あそぶ」「いっぱいねる」「たくさんたべる」
というような予定でいいんだよ、
とか思ってしまう私は「思想が強い」んだろうか。


いろいろ思い巡らしていると、
その子の目の前には、お客様用のゴンチャロフのチョコボックスが置かれた。

彼女が食べ始めた少し後に、
「チョコは3つまでね」という声がお母さんからかかる。

すでに彼女は、私の前で5つも食べてしまっていた。

バツが悪そうに私を見て、
「○○ちゃん、ここで、やめとく。
そるべさんも、どおぞ、」
と差し出してくれる。

そんなに、大人の目を怖がらなくてもいいんだよ、
と口の周りがチョコでいっぱいになっている彼女を見ながら思う。

他にも。

「○○さんは、我々の間でも前評判が良くてね。みんな欲しがってたんだよ、自分の部署に。」

前評判。
欲しがる。

ふと、花いちもんめのわらべ歌を思い浮かべる。

勝〜って嬉しいはないちもんめっ
あのこがほしいっ
あのこじゃわからん
相談しましょ、そうしましょ

いつから人は、人を、自由に扱うような権威を持つようになったんだろう?

チェス盤に乗せられた駒のように、誰が強いか弱いか判断され、操られていく。

その盤の外で自由に、
自分が勝てるように、強いと認めてもらえるように、駒を上手く動かせている、
と誤解しているおじさん。

その周りでそれを見て楽しんでいる観客。

たまには駒だって、進む方向を変えて、勝手に動いてやるんだから、
と思ったりする私は社会不適合者なのかもしれない。

既定路線をゆけ

すっかり、大学院での呼吸のしやすさに居座って、この息苦しさのことを忘れていた。

あんなに苦しくて苦しくて、
脱するようにして勉学の道に来たのに。

本当に人は忘れっぽいよな、と
自身を戒めるようにして思う。

圧力というのは、
なんとなく、生起するように思う。

30歳までに何かを成し遂げていないといけない、
得意でないことがあることは恥ずかしいことだ、
上司に従順でいることが良い部下である、等々、

そんなことは、直接言葉にされて、スローガンにされているものでもないけど、
なぜか、なんとなく渦巻いて、力強く横たわっている。

そういう無言の圧力に、屈さないようにと、
「1人で」抗うことは、身も心も滅す。

それくらい、この圧は大きな力だと思う。決して軽んじることはできない。

でもこの世界に今生きている以上、
その中で生き抜いていくしかないのだから、

1人で背負う・背負わせるのではなく、
横にいる1人1人と手を取り合って、
小さく、でも確実に異なるような、渦の目を起こさせつつ、生きていきたいと私は願っている。

こんなんで、4月から大丈夫かなあ、私。

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