高校にギリギリ入れた話
私は中学で勉強を死ぬほどサボった。
そのせいで高校にはギリギリ滑り込んだ感じで市内で1番頭の悪い公立高校に入学した。
今偏差値を調べたら43だったけど当時はもっと悪かったと思う。
高校3年生の国語の模試が学年1位だったのだが、それでも全国偏差値は50ちょいだった。
流石底辺高校!と言うしかないくらい生徒は荒れていた。
入学時、先輩たちの髪色は人工的でピアスがばちばちにあいていて、男子の腰パンはふなっしーレベルに短足に見えたし、女子のスカートはめちゃくちゃ短かった。スカートの下に体操服の短パンを履いていたので短パンが見えてよくわからない制服姿になっていた。
また、お酒飲んでタバコ吸ってるアピールをする生徒がたくさんいた。
嫌いな子のそういうツイートだけ集めてコピーして学年主任の先生のところに持っていった記憶がある。
その後その子がどうなったか私は知らない。
退学になってくれればよかったのにそうはならなかったらしい。
体育大会のときの女子の化粧や髪型は「体操服キャバクラがあるとしたらこんな感じなのかな?」って思えるくらいに派手だった。
あの髪は地毛だったんだろうか……?
授業中にDSを触っている人や、廊下をスケボーで往復して遊んでいる生徒もいた。
DSを授業中に触っているのがバレて「これは電子辞書です」と言い張って1時間授業を潰した生徒もいたとか。
生徒会長はカンニングをしていたし担任の先生のお尻を叩きながら愉快に歌う人だった。何故この人が生徒会長なのか本当に疑問だった。顔か?顔なのか?生徒会選挙はホスト総選挙じゃないんだぞ……???
さて、私がこの高校にどのくらいギリギリ滑り込んだ感じだったかというと、1年1学期の期末テストの英語の点数は7点で学年最下位だった。
もちろん欠点だった。
それを見て流石に自分でもヤバい。と思ったし英語の勉強を始めた。
しかし圧倒的に時間が足りない。時間が足りないから私は欠点にならない程度の点数が取れる勉強をした。全く身につかない効率の悪い勉強だったと思う。
「ここはテストに出ます」
と授業中に話す先生の言葉を一言一句逃さず、訳もわからず暗記した。
ノート点、ワーク点がある高校だったのでノートをめちゃくちゃ真面目にとった。そのせいで授業中に寝てる子に、
「ノート見せて!」
と言われてめちゃくちゃストレスだった。
こっちは死ぬ気でノート点取りに行ってんだよ……。
基礎を放置しているのでテスト期間が終われば一瞬で頭の中から抜ける。まじで無駄な時間だったと思う。
それでも欠点じゃなかったからいいや。みたいな気持ちだったし、大学入試は英語を使わないで受けようと決めていた。
結局大学入試は国語と生物でいった。
2年の頃に生物基礎しか受けていない私は生物を1ヶ月で叩き込むとかいうカオスなことをした。
血とか内臓とかの話がめちゃくちゃ苦手だったので何度もやめたくなりながら休み時間や世界史の授業を生物に当てた(おい)
そしてまたまたなんとか大学に滑り込めた。
朝が弱かった私はなるべく早起きしなくていいように家から近い大学に通うことになった。
どのくらい朝が弱いかと言うと高校時代はバス通学で、8時前のバスに乗らなきゃ行けなかったのにいつも7時半前に起きてバタバタと用意をして8時過ぎに乗り場について乗らなきゃいけないバスに乗り損ねていた。
遅刻届とはお友達だったし、多分クラスで一番遅刻していた。
担任の先生が遅刻届をためていて、学期終わりにまとめて渡された時はドン引きした。
確か50枚ちょっとあったと思う。
1学期が大体4ヶ月だとして週5回の通学で月に20回の出席。それを4ヶ月だから大体80日。
単純計算で遅刻してないのが30日以下。
インフルエンザがめちゃくちゃ流行っていて学級閉鎖ギリギリを彷徨っていた時期、朝のホームルームにいなかった生徒の家に電話をかけることがあったのだが、職員室で担任の先生が、
「◯◯(私の苗字)は来ます。電話しなくて大丈夫です」
と言っていたらしい。まぁ、ちゃんと行ったし友達や周りの席の子がインフルエンザになる中、私だけはしっかりインフルエンザにならなかった。
そんな感じできっと卒業も出席日数的にギリギリだったであろう私なのですが、大学でも出席が足りなくて単位が足りないことが多々あった。
ちゃんと卒業できますように。