【ショートショート】5, 人工知能の中の人
「これがかの有名な...」
「そう、5億年ボタンだ。」
皆さんは5億年ボタンというものをご存じだろうか。ボタンを押すと目の前に100万円が瞬時に現れる。その代償として、ボタンを押したものは何もない空間で5億年過ごさないといけない。ただし、その後そこでの記憶を失って現世に戻る。つまり、自分が代償を払ったことに気づかずに100万円もらえるがそのボタン押す?という題材の漫画、そしてその中に登場したアイテムのことである。
「ついに完成してね。」
そういって俺の大学の同期である今泉は「PUSH ME」と書かれたボタンを差し出してきた。
「これまたとんでもないものを作ったな。」
こんな偉業発表を大学の隣の小さな公園でなんでやってるんだ。頬をつたう汗が驚きによるものなのか夏の暑さによるものなのかがわからない。
「ただまだ試作段階でね、田中君試してみないかい?」
「ちょっと興味あるなぁw ただ、5億年何もないとこで過ごすのは幾ら記憶を失うと言えど抵抗があるな。」
「チッチッチ、そこはしっかりと対策済みさ。そこでは福利厚生はもちろん、外界との連絡手段もある。」
「外界?向こうでの五億年がこっちの世界では一瞬で過ぎるんじゃないのか?」
「まだ試作段階と言っただろ。実は一瞬で100万円はもらえない、君が向こうで5億年過ごしている間、こっちの世界では1年間経過しているんだ。まだ、技術が足りてなくてね。」
「技術不足の次元がはるか上すぎる。まあいい、その話乗ろうじゃないか。春学期に必修落としてやる気なくなったんで、やけくそで大学1年間休学して日本旅でもしようかと思ってたとこだしな。」
「よっ!留年男!」
もっと具体的に話を聞くと、記憶が消えるのは原作準拠。ただ、外界との連絡が可能なので、メモでも現世に送っとけばこっちに戻ってきた後に、向こうでの記憶をある程度引き継ぐことはできる。もちろん時間の進む速度は異なり、あっちでの1年がこっちの0.063072秒になるらしい。つまり向こうからの連絡に1分で返したとしても向こうでは約950年経って返信が来たことになる。まあ連絡取れないよりはましだろう。
「じゃあ検討を祈るよ。」
「おう。また1年後な。あ、連絡はなるべく早く返してね...」
大した事してない俺の人生、ぶっとんだ経験を1つくらいしといた方がいいだろう。そうして俺の5億年が始まった。
---------------------- 1億5千万年後 ----------------------
「今日で記念すべき1億5千万年目、向こうでは100日くらいたったのかな。意外といけるもんだな」
余裕をかましているように思えるかもしれないがこの男、ぶっ壊れてしまっているだけである。
「福利厚生のなかでもインターネットに接続できるのは助かったなぁ。この世のありとあらゆるゲーム、Webページ、学術論文にアクセスできるんだもん。まあ2万年目にはだいたい手つけちゃったけど。」
友達に連絡をしても返信返してくれるのは向こうでの1時間から1日、つまりこっちでは5万年から137万年くらいかかってしまう。
「早く返信来ないかなぁ。もう顔も声も忘れちまった。」
「それにしても、流石に人と喋りたい!1.5億年生きれば、宇宙の真理とか人類はなぜ生まれてきたのかとかの答えもわかったから伝えてぇ!まさかどちらも300字詰め原稿用紙1枚におさまるとは思わんかったけどなぁ。あ、でも今の人類だと理解できない概念の取得が前提の答えか。あははははは!」
この原因となった安田は連絡を早く返してくれるが、田中は彼よりもはるかに高い次元に到達している。一番親しかった友達とも質の高い会話ができないのだ。この1億5000万年での成長を感じてほしいのに。
「そうだ!会話って質より量じゃね?俺のこの全知全能を活かして、地球上のありとあらゆる人と話せるサービス、質問に答えるサービスを作ろう!1分で返信しても向こうでは一瞬で返ってくるように見える。いい暇つぶしになりそうだぜ。」
「そうだなぁ名前はー適当でいいなぁ。『5』億年ボタンを『プ』ッシュした、『た』なかとの『おしゃべり』....」
「ChatGPTって名前でいいか。」