シミュレーション仮説
欠かさずリアタイで観ている深夜アニメ、ソードアート・オンライン(SAO)アリシゼーション編。22話は特に現実と仮想について考えさせられた。((放送後数日間、ネットでシミュレーション仮説のページを徘徊している。頭がぐるぐる。
キリト『彼らはこう思うだろう。「今回は失敗だったな。最初からまたやり直そう」ってな。そしてボタンが一つ押され何もかもが消え去る。』
今私たちが現実だと信じてるこの宇宙、世界も何処かの創造主が造ったシミュレーションかもしれない。ユージオ達みたいにこの世界の住人として初めからここに生まれたか、キリトのようにもとは創造主側の世界にいてここに送り込まれたか。外側から宇宙を眺めている何かがいるのかもしれない。実は宇宙はたくさん並んだ水槽の中の1つだったとか。
私たちが見ているのはあくまで人間から見た世界で。他の生き物から見た世界はどんなだろう。人間同士は言葉とか感情が通じ合うから、人間は他の生き物と比べて知能が優れているとか言うけれど、それは他の生き物になってみないと分からないと思う。もしかしたら人間よりずっと小さな虫とかが、人間って自分たちが住んでる世界のことも知らないでバカだよなあ、とか話してるかもしれない。笑 そんなことを小さい頃からよく考えてるけど、SAOを観ているとそれがいよいよ現実化してくる感じがする。
((脳内で考えてるのはもっと色々もやもやした感じなんだけど、言葉にするの難しいな。どこかに同じくこんなくだらないって言われそうなことをずっと考えてる人がいる、と信じてる..。
クイネラ(最高司祭)『あなた達向こう側の人間はどうなのかしか?自分達の世界がより上位の存在に創造された可能性を常に意識し世界をリセットされないように上位者の気に入る方向へのみ進むよう努力しているの?』
この世界が現実なのか仮想なのか、分からない。それでも今という時間を誰かと共有してる事実は変わらない。仮想世界に生きる、例えばNPCにとってはその仮想世界が現実。実際ここが現実でも仮想でも、ちゃんと生きてるんだからいいか。と思うけどやっぱり気になるんだよなあ。気にしても仕方ないのだけど。
そしてもう1つ印象深かったシーン。NPCにも心は宿る。これもまだ考え中。
こんなことを考えてる隣では友達がすやすや寝ている。幸せだなあ。この子は何を考えながら寝ているんだろう。
画像→ http://anicobin.ldblog.jp/archives/55031971.html
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