桜桃忌
大学の授業で発表したエッセイを。日記はよく書くけどエッセイは初めて書いた。
授業内で行う批評会が恐ろしくて恐ろしくて(オンライン授業なので顔が見えない上に結構鋭い言葉も飛んでくる。)憂鬱なまま発表した。でも結果は思っていたより優しくて、表現も上手くないし伝わらないだろうな...と思っていた自分の作品が、読んでくれた皆に割とそのまま伝わっていて嬉しかった。中には「何も感じなかった」というコメントもあったけれど。(それについてコメントしたら、「〇〇さんも何も感じないアーティストとかいるでしょ。」と先生に言われたので、なんだかちょっと引っかかって「私はいません。」と返してしまった。)
頂いたコメントをまとめてみます。
儚さ、不可逆生、刹那的、虚無感、現実感が薄い、からっぽ、書きたかったものは分かる、色彩が美しい、書くものと書かないものの判断が上手い、ぼんやりと漂うほの暗さ、サイレント映画、身内が他界した時の死の恐怖感を思い出させられた、灰色と赤色、色の対比、新緑の芽生え、陽炎を追いかける、太宰治はサクランボが好きなのか、命の色、痛い、物語性、仄暗さと鮮やかさ、特に何も感じない、暗い、重い、傘は差して欲しい、無常観、熱が冷めていく感覚、墓が色褪せる描写、幻想的な表現が多くて具体性に欠ける、作者にとっての太宰治と津島修治の違いは?、儚いのは生ではないか・・・こんな感じ。
面白いコメントもある。自分の文章をここまでじっくり読んでくれたことが嬉しい。自分では気が付けない発見もあった。先生からは「描写」が少ないとアドバイスされた。確かに。
作品の中に太宰と友人を入れることで、自分の文章のせいで(批判されたり伝わらなかったりして)大切な友人と太宰さんに傷がついたらと思うと怖かった。つい最近、恋人に「儚い、脆いって言葉好きだよね。」と言われて自分の癖に気が付いたばかりだった。やっぱりこのエッセイにも「儚い」という言葉が入っている。周りから指摘されないと一生気が付かないままで終わるんだなあと思った。それは自分自身を知らずに終わることと同じだよね、と思った。批評してもらうのも大事だ。(一時的に精神は削られるけども。笑)
もっと素敵で色味のある文章を書ける、描けるような人になりたい。文章って「書く」より「描く」だなと今思った。
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