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桜桃忌

大学の授業で発表したエッセイを。日記はよく書くけどエッセイは初めて書いた。
授業内で行う批評会が恐ろしくて恐ろしくて(オンライン授業なので顔が見えない上に結構鋭い言葉も飛んでくる。)憂鬱なまま発表した。でも結果は思っていたより優しくて、表現も上手くないし伝わらないだろうな...と思っていた自分の作品が、読んでくれた皆に割とそのまま伝わっていて嬉しかった。中には「何も感じなかった」というコメントもあったけれど。(それについてコメントしたら、「〇〇さんも何も感じないアーティストとかいるでしょ。」と先生に言われたので、なんだかちょっと引っかかって「私はいません。」と返してしまった。)

去年の六月、激しい雨が降る日。私は三鷹にある禅林寺を尋ねた。
親戚が少ない私にとって初めてのお墓参りだった。さくらんぼを入れた袋を抱え、約二時間電車に揺られた。
大きな門をくぐり、看板の案内に従って階段を下ると霊園があった。墓石に刻まれた名前をひとつひとつ確かめながら慎重に歩く。油断すると吸い込まれてしまいそうな重たい空気感だった。手に提げていた袋を強く抱きながら、この霊園にどれほどの物語が凝縮されているのかと考えた。
誰かが生きていた証が、死者の魂がここにあるのか?
そんなことを考えながら足を進めていると、一際鮮やかに彩られた墓石を見つけた。大きく「太宰治」と刻まれている。刻字には艶やかな紅色のさくらんぼが埋め込まれ、豊かな花々で溢れている。そこには訪ねた人々の暖かく広い、太宰への愛が華やかに生きていた。好んで吸っていたとう銘柄の煙草や彼の人生に欠かせない酒など、「太宰治」を表す物でいっぱいになり、広い霊園の中でこの場所だけが本物の生命を保っているように感じられた。
私もこの場所を生かす一人になりたくて、抱えていたさくらんぼのパックを開けて一粒取り、刻字に手を伸ばした。
差していた傘から右手が出た瞬間、激しい雨がさくらんぼを打ち付けた。真っ赤なさくらんぼはコロコロと暗い霊園を転がっていった。
そうだ、大雨だった。
目の前の墓石があまりにも暖かく、天気のことなど忘れていた。お墓参りで傘を差しているのは良くないと思い、今度は傘をたたんで別のさくらんぼを取り出した。もう一度刻字に手を伸ばした時、私は津島修治に会えていないことに気が付いた。
その瞬間、鮮やかに生きて見えていた太宰の墓は、周りと変わらない灰色の墓石になった。
生きてなどいなかった。その場所に魂は感じられなかった。
どどっと勢いよく肌を伝っていく濁った雨が、死者は戻らないという事実と共に私の全身を圧迫した。
数ヶ月後、高校時代の友人が突然亡くなった。身近な人が亡くなったのは初めてだ。葬儀に出席し、声やぬくもり、あの手に二度と触れることが叶わないという現実が、再び全身を圧迫した。
死はとても残酷で、そして儚い。常に自分の中に潜み、共に生きているのだと知った。私はあの日、お墓や仏壇、葬儀などが死者に届くことはないと感じた。真実など誰もわかり得ない。それでも信じることに意味があるのかもしれない。 (テーマ「痛い」)

頂いたコメントをまとめてみます。
儚さ、不可逆生、刹那的、虚無感、現実感が薄い、からっぽ、書きたかったものは分かる、色彩が美しい、書くものと書かないものの判断が上手い、ぼんやりと漂うほの暗さ、サイレント映画、身内が他界した時の死の恐怖感を思い出させられた、灰色と赤色、色の対比、新緑の芽生え、陽炎を追いかける、太宰治はサクランボが好きなのか、命の色、痛い、物語性、仄暗さと鮮やかさ、特に何も感じない、暗い、重い、傘は差して欲しい、無常観、熱が冷めていく感覚、墓が色褪せる描写、幻想的な表現が多くて具体性に欠ける、作者にとっての太宰治と津島修治の違いは?、儚いのは生ではないか・・・こんな感じ。
面白いコメントもある。自分の文章をここまでじっくり読んでくれたことが嬉しい。自分では気が付けない発見もあった。先生からは「描写」が少ないとアドバイスされた。確かに。  

作品の中に太宰と友人を入れることで、自分の文章のせいで(批判されたり伝わらなかったりして)大切な友人と太宰さんに傷がついたらと思うと怖かった。つい最近、恋人に「儚い、脆いって言葉好きだよね。」と言われて自分の癖に気が付いたばかりだった。やっぱりこのエッセイにも「儚い」という言葉が入っている。周りから指摘されないと一生気が付かないままで終わるんだなあと思った。それは自分自身を知らずに終わることと同じだよね、と思った。批評してもらうのも大事だ。(一時的に精神は削られるけども。笑)

もっと素敵で色味のある文章を書ける、描けるような人になりたい。文章って「書く」より「描く」だなと今思った。

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