初めて考えた死
死ぬことについて考え始めたきっかけは、思い出せる範囲で思い出すとすれば、「いじめ」という至ってシンプルなものでした。
私がいじめだと勝手に勘違いしていたのかもしれませんが、授業中に教科書を取られる、取り返したければ何故か謝らないといけないので謝ると「なんで謝ってるの?」とからかわれる。そんなことの繰り返しでした。
すっかり引っ込み思案になった頃、「何かしゃべれよ」と言われてモゴモゴとしていたら「変な声〜」と言われ、私は学校で話すことすらしなくなりました。
思い出は、時に大袈裟に脚色されがちですが、私はその「変な声」という言葉が酷くショックで、頭の中でガラスがバリバリと割れる音がした気がします。
そんな事が新学期最悪のスタートから1ヶ月ほど続きましたが、明日死ねたら...と考えるには充分な期間でした。まだまだ子供の狭い世界で起こった、いじめという最悪の出来事からの逃げ出し方がわかりませんでした。転校してきたばかりで友達もおらず、心配性の両親に相談することもできず、私の世界はどんどん狭く暗くなっていきました。
寝る前に明日着ていく服を選ぶ時が、今でも鮮明に思い出せるくらい本当に辛かったです。明日生きていたら、また同じようにいじめられる。どうか明日が来ませんようにと神様に祈りたくなるような思いで一杯になっていました。
けれど、そんな時突然異例のクラス替えが行われたのです。私はこの出来事に一生感謝するだろうと思ったくらい、雲間から光が差し込んだような感覚になりました。
いじめっ子1人は結局一緒のクラスだったのですが、戦力が半減したうえ席も離れたので、私は普通に授業が受けられるようになりました。
その後は男子にからかわれることはあっても、再度いじめを受けることなく過ごしました。しかし、私は大学に入るまで場面緘黙症(特定の場所、場面で話せなくなる)と戦うことになり、自己肯定感は地の底まで落ちました。
「場面緘黙(ばめんかんもく)」なんて言葉がテレビで取り上げられることなんてなかった頃だったので、一体自分に何が起こっているのか、この喉が詰まって声が出ない現象は何なのだろう、と当時は戸惑い続けました。「この子は内弁慶(外では大人しいが家の中では強がりな人)だから〜」とまわりの大人たちは片付けてくれていましたが、その間も私の心は縮んでいくような感覚でした。
いつの日か、こんな思い出に殺される時が来るかもしれない。
けれども、振り返らずにはいられない思い出です。
あの時、なぜクラス替えが行われたのでしょうか?
先生が私がいじめられていることに気づいたのか、両親が家で過ごす私の表情に何かを感じ取ってくれたのか、クラスメイトが私の代わりに先生にSOSを出してくれていたのか...
というのは自意識過剰な想像で、単に他の要因があったのだろうと思います。
それでも、死ぬことを保留にしてくれたこの出来事に、もう少し感謝しておきます。