死ぬことを「保留」にする
いつからか、ふとした時に死について考える事が、私にとっては生きていく上で欠かせないものになってしまっています。死ぬことを全く考えない(考えたくない)人にとってはそれが全く理解できないと思いますが、逆に私もそういう人の思考を理解することはできないのだろうと思います。
普段生活していると、なんの前触れもなく「死にたい」という気持ちに襲われることがあります。
今死んだらどうなるか、どうやったら死ねるだろうか、あぁ、死にたいなぁ〜、と一通り考えます。
そこまで考えるのに、実際に死んでいないのは、一旦死ぬことを「保留」にしているからです。
旅行に行きたいけれど、そのための資金がない場合、一旦その気持ちを「保留」にしてまずは資金を獲得するために働きますよね。
お腹がすいても、授業中や仕事中であれば、その気持ちは昼食の時間まで保留にせざるを得ません。
死ぬことに関しても、日時や場所を決めてからにしたいなら、それまでその気持ちは保留にすればいいのです。準備が整えばいつでも死ねるわけですが、なんとなくそうやって過ごしているうちに、保留にしていた死にたい気持ちがどこかにいってしまっているかもしれません。
私は、毎回死にたくなったら、死に場所や死に方、誰に会って、誰にメッセージを残すか等、ある程度死ぬためのシナリオを頭で考えてから、「意外と死ぬ準備に時間がかかりそうなので、落ち着いたらそれらを実行しよう」と決めて一度死ぬことを考えるのを保留します。とはいえ、毎回シナリオが書き換わるのでなかなか準備が整わない上に、だいたい落ち着いたころには死ぬことに対する情熱が当時よりも冷めてしまっています。まあ、遺言書だけは用意できましたが…
コールセンターに電話をかけて、なかなか繋がらないまま保留にされ続けると、だんだん待つのも面倒になってきて、「繋がりやすい時間にまたかけよう」と電話を切るなんてこともあるのではないでしょうか。かけ直してもまた繋がらなければ、もう電話をかけるのを諦めてしまうかもしれません。
もし、この記事を読んでくださった方も、自分の心の中の自殺希望者が、「もしもし、今とっても死にたいんですが…」と問い合わせてきたら、
「はい、少々お待ちください」といったん電話の保留ボタンを押して、美味しいお弁当を片手に見晴らしのいい場所に行ってから(夜であれば美味しいお酒とスイーツなんかを用意したいですね…)、「おまたせしました、ご用件は?」と聞いてみましょう。もう自殺希望者は電話を切っているかもしれません。
なんと無慈悲な対応!と思うかもしれませんが、それならば自分が元気な時に折り返してかけて話を聞いてあげましょう。
「もしもし、この間の死にたいという件についてですが〜…」