人を変えられるのは神だけ、ということを証明しようと思う
A君がB君に何かの言動をした時に、B君の人格が良い方向に変わったとする。
この時のB君の変化の要因が、A君の存在及び言動にあると仮定する。
すると、A君は人を変えたという実績を持つことになる。
人は期待する生き物であるから、一度人を変えた人はまた別の人をも変えられるはずだという期待が生じる。
つまりA君には人を変える力がある、ということになっていく。
しかし、人にはもちろん個体差がある。
かのA君が尽力してもなお、変えられないC君のような人もいる(むしろほとんどがそうだ)。
A君がC君に費やした時間や労力は無駄となり、しばしばお互いに傷を残す事故となる。
この事故がなぜ起きてしまうのか?
仮定が間違っているからだ。
ではB君の変化がA君によるものでないのなら、一体誰がB君を変えたのだろうか?
また別の失敗パターンとして、B君自身によって変わったと仮定しよう。
B君はB君自身の力によって変わった。つまり人は自分を変えられるということになる。
C君も自分を変えられるはずだ。
しかし、人はそう簡単に変わらない。
C君は責められて傷を負うだけに終わってしまう。
ということで自己責任に落とし込むのもあまりよろしくない。
ここで、この問題を解決すべく新たな変数、「神X」の存在を仮定してみよう。
B君は神によって変わったのだ。
B君は神によって変わったが、C君は変わらない。
それは運命なのかもしれないし、自分に合う神に出会えていないからかもしれないし、信心が足りないからかもしれないが、それは人には分からない。
何せ、神の御技なのだから。
以上の理屈から、私は神Xを採用している。
人を変えられるのは、神だけだ。
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