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人助けをしなくなった理由

いつからだろう。他人を助けたい、という気持ちが起きなくなって久しい。

昔は世界全体に対して、変えてやろう、良くしてやろう、という気持ちが強かった。それは他人に対してもそうだった。

それが真逆へと「闇堕ち」した理由は定かではないが、きっかけの一つとして思い当たる出来事が一つある。


1年と少し前。

一人の弱々しい女子がいた。高校生の年齢だが高校は一旦辞め、通信制で入り直していた。背は小さく、声はか細い。いつもオドオドとしていて、自信なさげだ。

しかし彼女は実に聡明で、特に言語能力に長けていた。抽象的な話ができ、同年代と話が合わないといつも言っていた。頭も容姿も良かったせいか、周りの女子に妬まれ、虐められ続けた十数年だったという。

話が合うという印象を持ったので、僕は彼女をとても評価していた。だが周りの人間からはそうではなかった。同級生とだけではなく、親との折り合いも悪かった。家庭に関与しない父には頼れず、過保護な母からは束縛され(あるある過ぎる)、それらの悩みをしばしば僕に相談してきた。僕はそれに全力で応えた。

ただ、悩み相談で少し引っかかっていたことがあった。僕はまず悩みをしっかりと受け止め、共感して落ち着いたら、悩みの解決を図ろうとした。しかし時に彼女は、問題を解決することに消極的だった。いやむしろ積極的に問題解決を阻止しようとした時さえあった。

無理もない。人は変化を嫌う。変化は恐怖を伴う。育ってきた環境のせいで認知の歪みは極まっていると見えた。僕は、しっかりと腰を据えて長期戦で向き合う、という覚悟をしつつあった。

そんな折だった。

彼女に遠回しに恋愛的な意味での告白というものをされた。しかし、僕には婚約者がいた(当時)。

僕はその旨を伝え、丁寧にお断りをした。


彼女は壊れた。

あなたは女に色目を使ってたぶらかした、今までずっと騙していた、そういった罵りのメッセージが届いた。ブロックされた。少しばかりお金を貸してしまっていたのだが、それも持ち逃げされた。終わりだった。


僕は、一体どうしたら良かった?何度も考えた。分からなかった。

鬱々とネットを眺めていると、全然関係ない文脈でこんな文字列が目に飛び込んできた。

「救えねぇな」

ああ、そうか。救えねぇんだ。初めから救えなかったんだ。僕はそう思ったし、そう思うことにした。


多分それ以来な気がする、人を救おうと思わなくなったのは。

今にして書き起こすにあたり、少し脚色してしまった感はある。無自覚に記憶を美化(?)しようとしている自分に嫌気が差す。が、文字で著す以上は仕方ない部分もあるだろうと自己弁護する。

天は自ら助くる者を助く

人を救おうなどと、そのようなことは、人にはおこがましいことだ。


参考↓

「貧困は社会のせいだ!」と信じて、生活保護申請随行のボランティアをしたら、クズばっかりだった話

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ナンノ@エデン難波店長
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