復活祭

北大路から帰るバスの中から見る空は、何故かいつも綺麗だ。夕焼け率の高さかと思ったけど、それだったら四条大宮あたりだって夕焼けの時間帯に乗っていることが多い。花や空を綺麗だと思う瞬間って、直接的に世界を綺麗だと思っているきらいがあるので、余裕があるときしか綺麗に見えない、というか、綺麗なことに気づけない。と思っていたんだけど、なんかの戦時中の小説で、絶命の最中でも、海の沈む夕日を見てを綺麗と思えるのは人間だけだみたいなのがあって、実際のところそうなのかもしれない。疲労困憊の帰り道、やたらと空が綺麗だったりするのは。

4月の振り返りと言っても直近のことしかあまり記憶が無い。月初めには、好きな人と旅行に行った。家族以外と旅行に行ったのは小学校からの友達と大学生になってから行った一回と、今回だけだったので、よくぞここまでやってきた、という感想だった。歩くのが異常に速い彼は、字も細く縦長に詰まっていて、ひとが2文字書く幅に3文字は書く。何回も置いていかれそうになって、人生かと思った。別に嫌ではなかった。

私がいつも失敗するときは、承認欲求を拗らせたときだという統計が出た。21歳にして、今までの過去の失敗は全てそれで説明がつく気がした。どうすれば良いのかは分からない。

フィクションは素晴らしいと思う。フィクション、というか、制作物。どれだけ現実が忙しがろうと、嫌なことばかりであろうと、恋物語(物語シリーズのある区分のことであり、恋愛物語という意味ではない)を見れば、素晴らしい時間が過ごせる。明日がどうであろうと。その時間だけは、意味があるものだと思える。そんな作品がこの世にあってよかったと思う。物語シリーズは本当に傑作である。

さらっと21歳と書いたが、誕生日を迎えて21歳になった。20歳は長かった。色々変化したからだと思う。

先が見えないと散々嘆き散らかしておいて、本当に然るべき時期になれば、しっかりとそれなりの道を見つけたふりをして、それに向かって歩み始めてしまうのが本当に私らしいと思った。破滅願望はあれど結局破滅する勇気はない、儚く散ることを美しいとは思わなくなったけど、それでもやっぱり調子良すぎないかとは思う。もう少し迷ったり間違えたりしても良いのに。21歳の抱負は?と聞かれて、咄嗟に、いつも考えている、攻めの姿勢、と答えたけれど、実際のところどうだろう。今年は攻めの姿勢だから、と普段頼まないメニューを頼んでは、悉く後悔している。やっぱりいつも通りの私が良いのかもしれない。

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