睦月
自分の名前に月が入っていることに気がついたのは、なんとびっくり大学生になってからであった。それからというもの月が好きになった。毎日の月の形が載っている日めくりカレンダーを買って、まったく捲らなかった。だから私の部屋は今もまだ2023年9月23日なのである。明奈ちゃんだったらもっと明るかったのかなあ、とか無駄なことを考えたりはした。京都に来てからは、名前のこともあってか月を見上げることが増えた。空を見上げる他人の横顔は美しいことも知った。
今年は、ひと月ごとにまとめの日記なるものをnoteでつけようかと思う。というのも、自分で毎日つけている日記は殆ど備忘録に近く、人に見せられたものではないし、趣もくそもないからだ。携帯の通知音が、ポコン みたいな情けない音になってからというもの、私とてそれはそれは情けない日々を送っている。毎日を大切にしたいという欲望は、あるようであまり無い。凄い速さで人生が終われば、それはとても幸せなことだと思う。アッとか言って幕を下ろしたい。
鶏肉から出汁をとって、年越し蕎麦を作った。その出汁でお雑煮も作った。お笑い芸人のYouTubeを見ながらグミを食べていたら年が明けた。きな粉餅が似合うと言われて複雑な気持ちになった。話は変わるが、2月はダイエットをする。
一人暮らし故、完全に寝るタイミングを見失ったわたしは、同じく帰郷せずに京都に居座っている友達に連絡を入れ、近所の、近所にしては贅沢すぎる神社に行った。二人とも脳死で、面白かった。おみくじを引いたけど、あんまり内容は覚えていない。
帰省してからは怒涛だった。ちょっとした時間ができては三島の『命売ります』を読んで過ごした。お前はこの街で育って、ここに全てがあるんだよ、勘違いするなよ、と、どの道を歩いても言われているようだった。懐かしい人と沢山会った。私の人生史上1番面白いと思う先輩と、考え方がとても好きな先輩とご飯に行けたのも個人的にアツかった。
京都に帰ってきてからは、しばらくは放心状態だった。トーマス•マンの『魔の山』に、時間に忘却機能があるように、空間、場所にもある、みたいな一節があった。確かにそうだなと思った。ある朝起きたら自分の周りの環境が全て変わってしまったとき、私が昨日と同じ身体であることをどうやって証明するんだろ、なんてことを考えたとき、やっぱりタトゥー入れたいなあ という思いに行き着いた。痛いだろうし、いつの日か、ああ若いときにこんなことしちゃって、と思う日が来るかもしれないけど、私の身体が私のもので、昨日と同じもので、これで××年生きてきたんだってことを実感するためには、一生消えない印を彫り込むほかないと思った。
1月意外と長かった説は普通にある。レポートを死に物狂いで書く毎日は私を少し楽にした。何か目先の課題があると、生き生きできるタイプなんだなと思う。まだレポート全部終わってないのに、昼間から湯船に浸かって、長々とこの文章を書いている。早く上がれ。
1月は物語シリーズが再熱した。あれは人生のバイブルだと思う。2月は、車校に足繁く通って、健康的に過ごしたい。