2月in雪しんしん京都
部屋が暗くなれば居心地が悪く出て行き、戻ってきても上手く眠れず、明るくなった天井を硬い床から仰ぐ生活をしている。がらがらどんが渡った橋かってぐらい不安定な毎日だなあと思ってる。気づけば部屋がとっ散らかっているし、自分で引っ掻いて血が出てから最後に爪切ったのはいつだったけかと考えるし、かなり前にハンガーで抉れた傷はしばらく残りそう。そういえばあんまり床で泣くことなくなったなと思ったけど炬燵に入ってるだけだった。
余裕が有る無いで言えば普通に暗い夜道に咲く白い花は毒があるように見えると思えるぐらいには、平気だけど、はやく楽になりたいとずっと思ってる。勝手に音量が上がって制御できないイヤホンも使いこなせば慣れるように、不自由な身体を馬鹿にするように酷使する生活が唐突に怖くなり、安定とか真っ当とか、この世の誰も本当は手に入る訳ないものを求め出してしまう自分の矮小さが際立つ季節こと、二月。
二月らしくて可愛い、ってどんなやねーんと思ったけどまあ白ベースにパステルのピンクとか水色であしらった小柄の模様とかか、まあそうか。
思ったこと全部そのまま伝われば良いのに、言葉を使ってる限りそれは無理っぽくてちょっとしょげちゃった。唯一無二の言語を使いたいのにそれすらもう元からある言葉で誰かの猿真似で、胡散臭くて嫌になるなあ
何時に寝て何時に起きるみたいなのを一度崩してそれに慣れてしまえば、別に大人数に足並みを揃えていなくても生きていけないことはないことを実感として知ることができるので有益
意味があることと有益であることとを同義にしているのはあくまで社会であって、多分どころか絶対に同義ではないだろうと思う。例えば文学は有益ではないけど、存在に意味がない訳がない ずっとそこにあるというのが答えだろと思う けどこんなこと面接で言っても訳わかってもらえないんだろうなあ はあやだやだ