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michicusa
余韻
日々孤独を感じる。
だけどそこまで悲哀に没入はしてない。
大抵は非日常な体験の余韻としてそのような感情に陥るからだ。
程度の差はあれ、いずれまたひとりの日常に身体が戻っていく。
だけど僕のいう”日常”がいつどのようにして出来上がったのかというのを考えるとよくわからないものだ。
僕が余韻の只中にいるとき考えるのは、この余韻を生み出したあの時間はなぜ僕の日常にならないのかということ。
日常になってしまえばこの余韻に喰われることもないじゃないか。
メタ視点で仮定すると、僕が浸っている余韻は非日常から”日常”へ向かっている中途なのかもしれない。
なんてことを考えながら孤独をやり過ごす。
そんな日々が4年続いてる。
誰かと一緒にいればそれが晴れるかというとそうでもない。
一緒にいるというのは大変難しい。僕はあっという間に僕の人生に帰ってしまうから。
僕の人生の責任を他人に預けたくない。
僕の人生を他人のせいにしたくない。
何か熱中するものがあればそれが晴れるかというそうでもない。
熱はいつまでも同じスピードで動いてくれるものではない。
熱を生み出す動きを怠ればあっという間に身体がかじかむ。
かじかんだ身体を動かすということがいかに億劫か。冬の早朝を体験した人ならわかってくれるだろう。
この4年間数多の非日常の余韻が僕の”孤独”を生み出してきた。
僕の抱いている孤独は継ぎ足しタレだ。
味は良くない。
けどいつのまにかクセになっている。
やっぱりよくないな。
日常に身体が戻ってきたら少し休もう。
ちょびっとの元気が出てきたら散歩しよう。
そうやってこれからも継ぎ足していこう。