死にたい”あなた”へ。
自殺をしようとしている人を目の前にしたとき、自分はどんな感情になり、どんな行動をするのだろうか。
って、一回は考えたことないですか?
また、自分が死んだとき、自分を知る人たちはどんな反応をするのだろうか。
って一回は考えたことないですか?
これらの答え合わせなんて生きている中のほんの一瞬でしか出来ない。
だから一回は考えてしまうんだろうな。
「死」ってなんなのか。
ほんのちょっと前に色々考えたり勉強してた時期がある。
個人的な意見としては、実態としては肯定も否定もできない。ただそういうものが自分の生きている世界には普通の出来事としてあるんだなぁというもの。
だって、包丁は料理に使うものであるって厳密には規定されているわけじゃないし。
高いところから飛び降りないでって厳密には規定されているわけじゃないし。
やろうと思えばいつでもできちゃう。そういうコインの裏表のような世界なわけじゃん。
肉体的限界との勝負なわけじゃん。ある種。
そりゃさ、否定できないよね。
否定したとて、そういう行動とれちゃうんだから。
だから、「死にたい」って思うことを抑制することは出来ない。
っていうところから考えようよ。
なんでもかんでも否定するんじゃなくてさ。
実現可能性と肉体的・精神的限界とのせめぎ合いなんだから。
それらを踏まえて。
もし僕の周辺の人で、死にたいって思っている人がいたらどうするか。
僕は全力で止める。
理由なんていくらでもそれっぽい事が言えるけど、
止めるという選択を迷わない。
別に僕がそういう選択をしたってだけだから、実際その人を止めれる訳じゃないよ。
僕は僕を全うしたいってだけだから。
単純にさみしいじゃん。
前まで普通に喋れたのに、急に喋れなくなるんだよ?
さみしいじゃん。
「死にたい」は否定しないし、出来ないから、お好きにどうぞ。
でも”あなた”に対しては僕は僕を全うするよ。
というスタンスで
少ない人生を生きていると思います。