
流れに任せる。
今月から下流へ向かう川の音が聞こえる家に引っ越した。
数年はここにいると思う。
数多の鳥達が行き交い、複雑な模様のカメムシが窓に引っ付いてくる、そんな所で朝を迎える生活が始まった。
ここに来る前の僕は"不吉な塊"を背に、"孤児根性"とまでは行かないがひねくれざるを得ない性格と向き合い生きていくことに、
絶望と疲れを抱いていた。
誰か僕をさらってくれ。そう祈ることだけが一縷の安寧をもたらしてくれた。
時の流れに身を任せ
あなたの色に染められ
一度の人生それさえ
捨てることも構わない
だからお願いそばに置いてね
今はあなたしか愛せない
こんな詞を歌うことに抵抗がないほどだった。
毎朝川の流れる音を聞いて、コーヒーを空っぽの胃袋に流し込んでいる。
ゴクリという喉の鳴き声を辿ると、胃の底の水溜まりに気づく。
濁っていても水と水の干渉する音に変わりはない。
目の前を流れる音と、腹の底に溜まっていく音が同期する。
ただこれだけを感ずる朝。
そこに背負ってきた"不吉な塊"はない。
ひねくれずただただ感ずる。
同じ水でも溜まり続けるのと流れ続けるのとでは違いすぎる。
目の前の流れを切り取り観念に昇華すれば仕事した感が得られるが、切り取った観念は溜まり続け淀んでいく。
流れていくものを流れていくものとして接するというのも体得していかないといけない。
そんなことをここに来てから考えるようになった。
それは書籍の山に溺れていた僕の目の前に自然の摂理で流れる川が在り続けているからだろう。