過去という謎の概念
過去のことについて語るのがなんとなく恥ずかしい気持ちがあるのはなぜだろう。
誰かの過去の話を聞いたりするのは、たまらなく好きなのに、自分の過去の話となると、なんだか恥ずかしいことを話しているような気持ちになる。別に何も特別な過去の話などもっているわけでもないけれど。
その恥ずかしさをわかりやすく言うと、例えばインスタとかに子供の頃の写真をあげるのはなんか気が引けるみたいな、なんとなく恥ずかしいからやらないみたいなことだ。
それは恥というよりも、一種の嫌悪感的にも近い気がする。
嫌悪感といえば流行りにノルことに対する嫌悪感とか異性の前で態度を変えるヤツに対する嫌悪感とかの、気に入らないことに対して横目で冷たい目で見るみたいなのと同じような嫌悪感だ。
でも確かに、過去のことを語ることは、懐古厨とかいう言葉で表されているから、こういった嫌悪感は誰にでもあることのように思う。
過去のことについて言及するのはダサいことなのか?過去は現在の対照になるべきなのか?
高校生の時、いつまで経っても中学校の友達と遊んでいた自分がダサくて仕方なかったという思い出がある。高校の友達と遊んでも楽しくなかったから、中学校の友達とばかり遊んでいたが、心の中では、どうして自分は高校に馴染めないのだろうと悔しい気持ちでいっぱいだった。
これも過去がダサいという考え方に取り憑かれていたからこその思い出だと思う。過去にすがっている人間は現在から逃げてしまっているという考えが一般的だ。
だとしたら、常に前進して成長することが偉いということになるが、そんな簡単な人間は存在するのだろうか。
それでも私たちが語れることは、いや、人間が確かに語ることが出来ることは全て過去のことしかない。未来のことを語ろうともそれはただの予想でしかない。
だから私たちは過去についてもう少し感謝するべきだろうと思う。
失敗して、立ち止まってしまって、それでも泣きながらでも進んでいくのが人間らしさだと思うから、それを忘れないで、簡単な人間なんかはつまらないと思う。