小麦アレルギーになって感じたこと
去年の夏、小麦アレルギーになりました。
まだ一年も経っていないのに、あんなに好きだったラーメンの味は全く覚えていません。不思議だね。
辛いともあまり思わなくなったし、なんとなく付き合って生きれるようになりました。でも、それでいいのかな、、、
辛いことは忘れたいし、慣れた方が幸せなんだけど、なんか引っかかって。
きっと、この辛さを当たり前にしたくなかったんだと思う。
以前、少し話したことがあるんですが、世の中に当たり前なんかないと思うのに、当たり前だと思って生きてる人多いです。
例えば「食べれなくて可哀想」
癖で言っていませんか?可哀想って。
何も考えず食べられることが普通ですか?当たり前ですか?食べられないことはそんなに可哀想ですか?
小麦アレルギーになって、よく言われるようになりました。
可哀想なんて、酷い言葉を気遣いみたいに言わないで欲しい。
当たり前のように「気遣い」と思って酷い言葉を放っていませんか?
「食べられなくて可哀想」と本当に思っているなら、その言葉、撤回させていただきます。
私は、小麦アレルギーになって良かったと思っています。
確かに食べれたものが食べられなくなったのは辛かったけど、冒頭で言ったように本当に味なんて忘れたし、恋しくない。
変わりはいくらでも作れるし、健康な食事をしています。
そして何より、心優しい人にたくさん出会えました。
アレルギー品目が不使用のお店の方、アレルギー持ちの方、アレルギー持ちの方のお母さんや家族、、、。
みんな心が優しいです。
辛いよね、でも案外大丈夫だよね。
一緒に頑張ろうね、投稿楽しみにしてるね。
そんな言葉をかけてくれるんです。大切な時間を使って、長文の心がこもった言葉をたくさんの方がくれました。
中にはアレルギーではないけど、お店を教えてくださる方もいました。
私が小麦アレルギーにならなかったら、こんな優しい世界、知らなかった。
ずっと人間はみんな酷い言葉を知らん顔で口走ってしまうもんだと思っていたけど、でも、そんな言葉も、仕方がないと気付きました。
知らない世界を、機会がないのに知れ、と言われても無理だから。
それが「小麦アレルギー」の発信の原点でした。
もっと、アレルギーのことを知って欲しい。
そして「私は可哀想なんだ」と思ってしまうような場所にいる方に、
大丈夫だ、と言いたくて。
これからの私も、この気持ちは変わりません。
Instagramでイラストつきの物語形式で発信していたのをやめてから、
私が思っていたこと、ふつふつと感じていたことは変わっていないよ、と伝えたくなりました。
長くなって、拙い文で申し訳ない。
最後に、
私は全国のアレっ子(アレルギーっ子)ママさんを本当に尊敬します。
もちろん、私のお母さんも。
一緒にグルテンフリー生活(アレルギー品目不使用生活)楽しんで行こうね!
アレルギーになって、一段と優しくなれた気がします。
たも