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毒と薬は紙一重

母は私のことが嫌いなようだが、愛してくれてはいると感じる。

いつも母は私の全てに対して否定的なことを言う。
太ってる、服が若作りすぎて似合ってない、化粧が濃いなど…事実をベースに言われるため、真摯に受け止めて調整するべきか、好みの問題と割り切って無視するべきか毎回わからない。
私のことを人に紹介する時などは、「この人変わってるから…」と言われるのに私はどう反応して良いかわからなくて、毎回愛想笑いでへへ…と言って流す。
私と趣味が本当に合わず、私の好きなものを紹介するとだいたい嫌な顔をされる。
趣味が合わないのをわかっているはずなのに、母の趣味のものをこちらに押し付けてきたりもする。それで私が拒否したり受け取りはしても使わなかったりすると不機嫌になるのだ。ままならない。

そんな母だが、私の部屋を掃除してくれたりごはんを作ったりしてくれるし、質問を投げかけると(内容とその時の機嫌にもよるが)的確な助言をくれることもある。
そもそも20歳を超えても門限があったとか、暴言とかの私がしんどくなってしまうような発言も、元をただせば概ね助言だが、嫌味がひどすぎて、そのまま聞くと私がしんどくなってしまうので適当に流して聞いていないときもある…。
機嫌がよく、かつ自分の自信がある話題で、気が向いた時ならおしゃべりだって少しはしてくれる。

なんなら近くにいるだけで嫌がられたり、父や他の人に対する態度と露骨に違う不愉快そうな態度を取られたり、という母と私の関係だが、母は私のことがこのように本当に嫌でも世話はとても焼いてくれる。(それを過干渉と表現してしまえばこの記事はおしまいになってしまうので一旦置いておく)

そこで、私は「好意があるようにみせかけた嫌がらせ」を積極的に行っている。

というのも、「母は自分に向けられた好意は(その時の気分にもよるが)嫌いではない」ということが感覚的にわかってきた。
かつ、母は人とベタベタくっついたり長くおしゃべりしたりが嫌いである。

だから、「好意で(物理的に)すり寄るような行動」をする。
すると、母は、一応好意を向けられているので(されてる行動はとても嫌だが)なかなか無碍にはできない。
これをすることによって、「私は母にめちゃめちゃ好意的ですよ♡」とアプローチしつつ、母の嫌がることをして日頃の鬱憤を晴らせるのである。

すると、いつもの母の嫌な態度が少しずつ、本当に少しずつだが軟化しているのに最近気がついた。
と言っても本当に少しだけであり、機嫌が良い時限定ではあるが、それでも声のトゲが少しやわらかくなったと直感的に感じる。
それによって、あまりにも暴言に近くて私が本能的に聞き入れるのをシャットアウトしていた言葉たちが、少しずつ入ってくるようになった。
それらはみんな、私のためを思って言ってくれているのがわかる言葉たちだった。

やはり言い方。言い方は大事だなと思った。
不機嫌、嫌な態度でトゲのある言い方、暴言に近い言い方だと、どれだけ言っていることが正しくても、愛があっても、伝わらない。
聞いている側としては心底しんどくなって聞き入れる気になれない。

ところで、そもそもなぜ母から私への態度がそんな感じになってしまったのか。
母に聞いてみると、「ワンオペ育児で、お前が言うこと全く聞かへんからやろ」とのことだった。

※↓読み飛ばして良いゾーン
私は、特に中学〜高校卒業まであたりの記憶がほぼない。(ひどいうつだった。こころの病院には当時諸事情あって行けなかった。)だが、その頃にはすでに母は厳しい態度で私に接していた。ということは、それ以前…小学生以下の年齢の時の話だと考えられる。その頃の記憶も全然無い。
父に、そんなに私は小さいころ母の言うこと聞かん子だったのか、と聞いてみると、「知らん。お母さんがそう言うならそうなんちゃう」と返ってきた。

父は当時仕事が本当に忙しく、夜中の2時とかに帰ってきて朝5時に起きて7時に家を出て、8時半に始業…と今だと考えられないようなブラックな状態で働いていたので、育児が母のワンオペになるのは確かに仕方がないのだろう。
だが、娘が言うこと聞かん子だったかどうかがわからないほど育児に参加してなかったらしいのは、そら母も疲弊するわなと思ってしまう。

加えて、母はとてもこだわりが強い。
少し潔癖で、全てに手順と正しいやり方があり、少しでも間違うと怒り狂う。
特に家事は全てそうで、手伝ったり勝手にやったりすると、手順通りにやったか質問攻めにあったり、母の目の前で何か間違えるとめちゃめちゃ怒られるので、父も私も手伝うのが嫌になってしまった。
(最近は母が1人でやるのがしんどすぎて、手伝わせるために少しはもろもろ大目に見てくれるようになったので、父も私も許されるラインで手伝っている。それによってかなり母は楽になったようだ。しかしいまだに洗濯物の物干し竿への掛け方掛ける順番とかで母がギャーと言うことがあるので少しげんなりする。)
※↑読み飛ばして良いゾーンおわり

要するに、私に対して疲弊、辟易して嫌いになってしまったということだろう。

また、父に「お母さんはお腹の中の子が女の子やってわかったとき、すごく嬉しいって言ってた。一緒に服とか見たり、化粧したりを楽しみたいって言ってた」と言われたことがある。
しかし現実は、服も化粧も母と娘で趣味が真逆になってしまい、服屋で険悪なムードになったり、母からめちゃめちゃ嫌味を言われたりするようになってしまった。
だから、期待していたのと違う!嫌だ!と心のどこかで思っているのだろう。

母は、いつだったか私が自殺をほのめかすことを言った時に、「お腹を痛めて産んだ子がそんなことを言うなんて」と泣いて悲しんでいた。
そしてどれだけ出産が大変だったか、つわりなどがどれだけしんどかったかをつらつらわんわん言われた。
そこでなんとなく、「ああ、母は私を『自分がしんどい思いをして産んだ成果物』としては愛してくれているのだな」と考えた。
私(子供)を成果物(作品)として考えると、なにかわかる気がするのでそうしてみる。

私も何か作ったり、考えたことをアウトプットしたりする人間なので、自分の成果物が壊れたり失われたりすると悲しい。だから、母が私を失った場合に得ることになる悲しみは想像がつくような気がする。
だが、自分の作品が成形されていく過程で、全然思ったようにいかなくてぐぬぬとなっても、それで自分の作品が嫌いになることはなかなかない。

やはり自分の精神的、肉体的な健康が侵されても思ったようにいかなかった場合はその限りではなく嫌いになり得るものなのだろうか。
それとも、成果物として愛されているのと嫌われているのが両立しているのだろうか。

人間の心はむずかしい。
25の小娘には全然わからないが、母が今も苦労して私を良い人間に育てようとしてくれていて、いろんなことに金銭的にもそれ以外にもサポートしてくれていることはわかる。ただ態度が最悪なだけで…。
とても感謝しているが、態度が最悪なのはどうにかならんかなとずっと思っている。

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