【創作】 石をくらう 【怪談】
(甲子夜話 巻二より)
クキさんという。
漢字では久喜、と書くらしい。
「漢字が難しいから、カタカナで…… 子どもだったので」
そう、二宮さんは語った。
「ちょっと首都圏から離れた町だったけど、どんどん田んぼをつぶして、住宅地が建っていました。親が家を買って、私みたいに引っ越してくる子供が多かったんです。バブルのころだったし、ドーナツ化現象っていうのかな」
二宮さんとクキさんは、仏教系の幼稚園の同級生だった。
園長先生は、お寺の住職さんだった。
幼稚園には、昔ながらの檀家の子供たちだけでなく、新興住宅地からもたくさんの子供が集まり、楽しく賑わっていたという。
二宮さんは、クキさんに初めて出会った時のことを覚えている。
「檀家の中でも一番大きな、由緒ある旧家の娘さんだったそうです。そのときは、聞いてもよく分からなかったのですが」
彼女は日本人形を思わせる、ちょっとぽっちゃりして色白で、切れ目の女の子だったそうだ。そして年相応の稚さではあったが、笑い方やちょっとした仕草からして、どことなく品を感じさせた。
幼稚園の頃の二人は気が合って仲が良く、一緒に遊ぶことが多かったそうだ。
数年後、二宮さんは小学生になっていた。
クキさんとは時々顔を合わせたが、違うクラスになってしまったこともあり、一緒に遊ぶ機会は少なくなった。
なにしろ、ベビーブーム全盛期である。
学年あたりの児童数も多く、一学年の生徒数が数百人を超えることすらあった。四十人学級でも十クラスを超えてしまう。
少子高齢化の現在ではまずありえない状況であった。
そのために友達もどんどん増えて、そのぶんクキさんとも少しずつ疎遠になっていったのだ。
ところがどうした理由か、あるとき彼女はクキさんの家を訪れることになった。
理由はよく覚えていない。
「たしか、一緒に宿題やろうって言ったような気がする。制服と制帽を着ていたので、学校帰りでしたね」
初めて見るクキさんの家は、うわさどおりの立派な日本家屋だった。
「私の家は2DKで、絵に描いたようなサラリーマン家庭でした。相当な格差があったのですが、子供の頃は気にならなかったですね」
彼女はクキさんの後をついて行った。門を抜け、日本庭園の脇を通ってようやく母屋の入り口である。
庭は静まりかえっていた。
庭木は生いしげり、緑陰が濃く、昼間なのに薄暗い。自分の住む公団住宅とはかけはなれた、落ち着いた雰囲気だった。
二宮さんは物珍しさにあちこち見回した。
クキさんの自室に入り、持ってきた宿題をするでもなく二人で遊んでいると、若い女性の声がした。
「おやつ、どうぞお上がりなさい」
応接間にゆくと、漆塗りの卓上には緑茶と、瀬戸物の絵皿に乗ったきれいな和菓子が用意されていた。いつも食べている安物の駄菓子とは違うな、と二宮さんは思ったという。
食べながらおしゃべりをしていると、すっと障子が開いた。
クキさんのお母さんだった。和服姿で正装し、きちんと髪を結い上げている。
「章子」
お母さんは、クキさんの名前を呼んだ。
「ちょっと、お願いしていいかしら。お友達がいる時に悪いけど」
どことなく声が硬い。遠慮がちな、妙に他人行儀ともとれそうな声色だった。
「いいわよ。だいじょうぶ、良子ちゃんと一緒にやるから」
クキさんは当たり前のように返事した。まるでクキさんのほうが母親のようだな、と二宮さんは思った。
「そう。じゃ、よろしくね」
お母さんはそう言うと、そそくさと立ち去った。
心ここにあらずという感じだった。
廊下には、お母さんが持ってきた漆塗りのお盆が残されている。お盆の上にはなにも入っていない白磁の湯呑み、そして水の入ったガラスの水入れが置いてあった。
「ちょっと待ってて」
クキさんは立ち上がり、ぱたぱたと走って部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。
右手をぎゅっと握っていた。何か持っているようだ。
「良子ちゃんも、見るよね」
怪訝そうな表情の二宮さんに笑いかけ、クキさんは右手を開いて見せた。
てのひらの上には数個の小石があった。
クキさんは湯呑みの中にその小石を入れて水を注ぐと、お盆を持って立ち上がった。
「何してるの?」
怪訝そうに二宮さんは言った。
「いいからいいから。さ、行こ」
二宮さんは久喜さんの後に続いた。
板の間の渡り廊下は、奥の間に続いていた。昼間なのにどことなく薄暗い。
「良子ちゃん、ここからしゃべっちゃだめよ。口きいたら……になるから」
言葉がよく聴き取れなかったが、二宮さんはうなづくしかなかった。
奥の間の障子は閉じていた。
久喜さんは盆を置き、障子の前に正座した。二宮さんもそれにならう。
障子が開いた。
二宮さんはぎょっとした。
奥の間には、ひとり、白装束の男性が身動きひとつせずに座っていた。
まるで枯れ木のように、気配がない。
異装だった。大きな鬼の面を着けて、手ぬぐいでほっかむりをしている。
妙に細く背が高い。たもとからのぞく腕も異常に細かった。白い綿手袋をはめている。
鬼の面は木彫りで、古いものらしく、所々塗りが剥がれていたが、端正に作られていた。面に隠されて、素顔は分からない。
後ろに見える髪の毛は灰色で、整っておらずボサボサだった。
「どうぞ、おあがりくださいませ」
クキさんは当たり前のように男の前に湯呑みを差し出した。
まるでおままごとのようだった。
男は会釈もせず、無言で湯呑みを手に取った。そして、面を少し持ち上げて口につけ、中に入った石ごと、一気にあおった。
二宮さんは驚いて目を円くした。
男はそのまま、ゴリ、ゴリ、と石を噛み砕き、全て呑み込んでしまった。
二宮さんは思わず声を上げそうになったが、振り向いたクキさんがそれを無言で制した。
男は空になった湯呑みを、久喜さんの方に無造作に押し戻した。
久喜さんは首をかしげた。
「もう少し、ですか?」
男は何も言わず、動かない。
「じゃあ、これはいかがでしょう」
クキさんはにっこり笑うと、ポケットに手をつっこみ何かを取り出した。
それは銀色の粒。六角形をした数個の金属の塊、ナットだった。
クキさんの指から、湯呑みの中に粒が落ちた。金属が陶器に当たる音がした。
ふたたび水を注ぎ、差し出す。
男は同じようにそれを口にした。
ゴリ、ゴリ……
今度は、長く、噛み続けていた。
二宮さんは、あっけに取られてそれを凝視していた。まばたきをすることすら忘れていたと思う。
すると、部屋の奧から獣のような唸り声が響いた。
二宮さんは慌てて左右を見回したが、なにも変化はない。
よく聞くと、それは仮面のうしろで男の喉が発している音だった。
「良かった、気に入ったのね」
当たり前のように男の様子を眺めていたクキさんが、うれしそうにつぶやいた。
「やっぱりこっちがいいと思ったのよ」
クキさんは振り向いて、二宮さんにささやいた。
頷くしかなかった。
空気が、おかしかった。
そのあと、どうやってクキさんの家を辞したのか、よく覚えていない。
その後、クキさんの家を訪れることはなかった。
「そのあとで、気になったのですが」
数年前。二人がまだ幼稚園に通っていた時の思い出である。
二月。幼稚園で節分の行事が行われた。
恰幅のよい園長先生、つまり住職さんが、手作りのボール紙のお面をかぶって、鬼の役を演じた。恐ろしげなーーとはいっても、どことなく愛嬌を隠しきれない唸り声をあげて、鬼が教室に入り、子供たちを追いかけた。
子供たちは笑い、きゃあきゃあと嬌声をあげて逃げまどう。そして、鬼に向かって元気良く手に持った煎り豆を投げつけた。
「鬼は外! 福は内!」
鬼は大げさに怖がり、這々の体で教室の中を歩き回り、庭に出てゆく。子供たちは大騒ぎしてそれを追いかける。
ほほえましい、伝統行事の一場面であった。
「鬼はうちぃ!」
幼稚園児の頃の二宮さんは、あれっと思った。
豆を投げる手を止めて、見る。クキさんだった。みんなにまじって楽しそうに鬼を追いかけている。
「鬼は内!・・・福は内」
聞き間違いではなかった。
後ろから近づき、袖首をそっと引っ張った。なあに、と振り向いた彼女に、おずおずと注進した。
「クキちゃん、それ、反対だよ」
彼女は不思議そうにちょっと首を傾げた。言ってることが分からない、といった様子だった。二宮さんはさらに説明した。「鬼は外、だよ」
「どうして?」
ほんとうに分からない、といった様子であった。
「だって、鬼が中に入ってきたら困るじゃない」
クキさんはぽかんとしていたが、すぐに納得がいったように頷いた。
「わかった。そうする」
そしてにっこり笑い、走り去って行ったのだった。 それだけのことなのだが……
二宮さんは、今でもクキさんの家で見た「鬼の面をつけた人」の所作が忘れられないという。
「なんていうか、ぎこちないのです。
「たとえるのが難しいんですが、木彫りの仏像がそのまま動いてるような、動き。
「ひとつだけ言えるのは・・・同じ鬼の面を着けていても、空気が全然違ったんですね。住職さんの「鬼」とは」
そしてクキさんがちょっと遠くの私立中学に、二宮さんが地元の公立中学に進学し、生活圏が離れてしまうと、二人のつきあいも途切れてしまった。
「でも、この前、見かけたんですよ」
二月のはじめ、たまたま見かけたテレビ中継だった。
首都圏にある有名大学の合格発表。
画面の中、彼女は主席合格者として、インタビューを受けていた。
彼女はすっかり大人びて、艶やかになっていた。ちょっと怖いような美しさだった。
「でも、何となく納得がゆくんです。「そう」なるんだなって」
二宮さんはそう言って、カフェオレを一口すすった。