強さのインフレは怖さを矮小化してしまう〜「来る」中島哲也 監督、2018年
立川シネマシティ「来る」字幕上映。中島哲也 監督、2018年。澤村伊智 のホラー小説(未読)の映画化作品。姿を見せない悪霊のような存在が徐々に近寄ってきて、日常に生きるサラリーマンや主婦の生活を破壊してゆき、ついには大規模な呪的戦闘になるという話。予想以上に面白かった。
134分と長尺であり、実際にはプロットが3パートほどに分かれている(各パートに対応しているかは不明だが、脚本家も3人クレジットされている)。長尺の映画ではよくある作り方であろうが、そのため感情移入すべき中心人物が複数となり、焦点がやや定まらないきらいを感じた。しかしながら全体的には大きな瑕疵にはならず、その点はむしろうまくまとめたのだろう。
ひとつ気になった点として、姿の見えない「何か」の怖ろしさを感じさせるための演出が、徐々にインフレしてゆくことがある。最初は日常的な人物が被害に遭い、次にプロフェッショナルである霊能者が対応して、それでも抑えきれない。さらに国家規模の鎮護システムが・・・ というぐあいである。黒沢清 のホラー映画などの怖さとは異なる、いわば楳図かずお的な演出といえよう。クライマックスの呪的戦闘シーンは、大友克洋「童夢」のようなセッティングで、楳図かずお「神の左手悪魔の右手」の「影亡者」の拡大てんこ盛り版を映像で再現したかのような迫力でおもしろかった。
そういった風呂敷の広げ方は本作では悪くはなく、ぎりぎりのところで押さえられており十分に楽しめたが、それでも観終わってみると、少年ジャンプのバトル漫画にあるような「強さのインフレ」感のように、「何か」の怖さをかえって矮小化してしまいかねない部分がある。
ユタの血を引くキャバ嬢の霊媒師・小松菜奈のキャラクターは、「ドラゴン・タトゥーの女」のヒロインであるリスベットのように、超常的な能力を持ちつつ、欠点があるゆえに魅力的である。しかし、さらに上位の霊媒である完璧な霊媒の姉が登場して、クライマックスで中心的な役割を演じてしまうことで、その魅力が十分に活かされず、前述の「強さのインフレ」を引きおこしかねない状態となり、物語としてはかえって難しくなってしまったかもしれない。もし初期スティーブン・キングならば、完璧な霊媒の姉がとってかわるのではなく、欠点があり能力も不完全な小松菜奈が、傷つきながら不利な戦いをしいられ、その中で活路を見出してゆくような話にするのではないか。つまるところ、「弱さの中の強さ」を描くまでに到っていないということだ。
山中ドローンでクルマを追いかける冒頭のカメラワークや、最後のとってつけたようなオムライスの歌のCGとかキューブリックの「シャイニング」みたいなところはあるけど、あまり映画的ではない、動画サイト的な軽さを感じる(黒沢清ならばそうはならないだろう)。なぜそう感じるのか。たとえば「シャイニング」では怪物であるホテルの夢を、ラグタイムが流れるなか、古写真のロングショットという抑制された表現で描き出しているが、それに対して、本作では子供の夢をCGで安易に表現してしまう、そういった抑制を欠いた部分なのかもしれない。