メロンパンにもメロン入ってないやろ
高校卒業後、僕は大学には行かず就職した。
就職先は京都のとあるホテル。
そのホテルのレストランで3年間働いていた。
レストランはビュッフェスタイル。
バイキングとも言うが、この場合はビュッフェと呼ぶ方が好ましい。
僕自身も、ここで働くまでにはビュッフェという言葉に馴染みがなかった。
基本、レストランというのはサービスとキッチンで分かれている。
僕はそのサービス側で働いていたのだ。
そこのレストランは3ヶ月ごとに料理のメニューが変わる。
季節にあった料理を、レストランのシェフが考案して1年中飽きが来ないようにこだわっているのだ。
そんなある日のこと
その日は、メニュー変更当日だった。
どのようなメニューになるのかは前日にシェフから僕たちサービススタッフに連絡が来る。
その内容を必ず確認して、当日までに把握しておくことが必要なのだ。
少しでも把握していないことがあると、後でシェフやマネージャー(サービス側の店長のような立場の人)からこっぴどく叱られる羽目になる。
ホテルのこの立場の人達は、大体がめちゃくちゃ怖い。
ホテルというサービスの最高峰と言われる場所の中でこれまで働いてきたからこそ、厳しい時代も知っている分怖い人が多いのだ。
シェフに関しては、まだキッチン側の人間だから良しとして、問題はマネージャーの方である。
この方は、サービス側。つまり僕たち側の人間なので、現場の空気はこの人によって支配されるのだ。
マネージャーは普段は陽気な人で、僕たちスタッフを笑わせてくれるような冗談を言うのが好きな人だった。
しかし、ブチギレたら最後。
あんな普段陽気な人なのに、口調がどぎつい関西弁に変わりインカムで罵声を飛ばすのだ。
声のトーンも半音高くなる。
この声のトーンを聞いたら、
「あー今めっちゃ怒ってはんなあ、」
と判断していたものだ。
こうならないように常に我々スタッフ達は気を張って仕事に励んでいた。
メニュー替えの日というのは、毎回初めての料理が出るのでキッチン側もサービス側も非常にピリピリした空気が漂うのだ。
だから僕も、全ての料理は覚えることはできないが、あらかじめメニュー表を印刷して常にポケットに持ち歩くとこにしていた。
少しでもポカーンとすると怒鳴られる。
前日までに報告しているのに、知らないでは済まされない。
ランチ営業開始30分前、新メニューが続々と並び出す。
暖かいメインメニューや冷たいサラダ、デザートなど、種類は様々だ。
サービススタッフの我々も、メニュー名と実物を頭の中で一致させる作業でいっぱいいっぱいだ。
和洋中のメニュー名達を必死で覚えていく。
それらのメニューの中に「タコサラダ」という料理が出ていた。
新メニューの1つで、あまり聞き馴染みのないサラダだった。
どうやらその料理を、マネージャーと山本さん(仮名)という男のスタッフが吟味している。
メニュー替えの日のマネージャーは危ない、山本さんもそのことは百も承知だった。
なんなら、この人は中間管理職なのでマネージャーに注意を受けることは他と比べて非常に多いのだ。
ドキドキしながらマネージャーと料理を確認していってるのであろう。
マネ「タコサラダって珍しいなぁ」
山本「そうですねえ…」
そんなたわいもない会話をしていた…
すると、そのサラダを見たマネージャーが突然ある疑問を口にした。
「あれ?これタコ入ってへんやん」
"タコサラダ、タコが入っていない"
この一言に山本さんの脳は過敏に反応してしまった。
タコサラダなのにタコが入っていない。
メインが入っていないことなんて、あってはならない。
それを聞いた山本さんは、急に焦り始めた。
やばい、やばい、マネージャーが痺れを切らし始めている、
マネージャーがそう言っているのだ、きっとそれが正しい
マネージャーが間違ったことなんて言うはずがない。
まずい、このままじゃ機嫌を損ねるかもしれない
時刻もオープン30分前、早くしないと!
怒り出すかもしれない
現場の空気が悪くなるかもしれない
早急に措置を取らないと
キッチンに言いに行かないと
そう切り出した山本さんは、タコサラダを手に持ち、すぐさまキッチン側に文句を言いに行った。
「すみませーーん、これタコ入ってませんけどーー?」
大きく出た。
マネージャーがそう言っているのだ。
タコが入っていないと言っていたのだ。
これはおかしいぞ?
キッチンさん、どうなっとんじゃい⁈
山本さんはマネージャーのために、お客様のために、キッチンに間違いを提示しにいったのだ!
しかし、キッチン側から帰ってきた答えはあまりに意外なものだった。
「んなもん入ってるかぁ、ボケェーー!」
そう、
このタコサラダには、元々タコなんて入っていないのだ。
料理名、「タコサラダ」の「タコ」というのは、タコライスなどに用いられるタコなのだ。
いわば、タコスの具材が入ったサラダ、タコサラダなのだ。
そうとは知らず、山本さんはマネージャーの発言だけを頼りにキッチンへ向かったのだ。
山本さんは、マネージャーが言っていることだから、これにはタコが入っているものだと、早とちりしてしまった。
自分が間違っているのに、キッチンに文句を言いにいってしまった。
いや、大体分かるやろ。
メロンパンにもメロン入ってへんやん。
その理屈やろ。
そもそもタコ入ってたとして、そんなメイン忘れるかい。
キッチン舐めてんのか
マネージャーもジョークで言っていたのだ。
タコサラダやのにタコが入ってない、おかしいなーっていうボケなのだ。
ピリついた空気を和ますための軽い一言
おそらく突っ込んで欲しかったのだ。
しかし、それを本気にするバカがたまたま横にいてしまった。
不運な状況によって生まれたとんだ勘違い劇。
忙しい状況なのにしょーもない文句を放ってこられたことに対して、キッチン側からめちゃくちゃに言われてきたのだろう。
顔をりんご飴の如く真っ赤にしてキッチンから出てきた。
そして、何事もなかったような顔で
さあ、仕事仕事!
と言わんばかりに、現場に戻り始めた。
心には確実に自分で負ったわだかまりがあるはずなのに…
そんな山本さんの一連の騒動を聞いたスタッフは、一同大爆笑
和やかな雰囲気の中、お客さんを迎え入れることとなった。
後日、山本さんが僕に対してあることを聞いてきた。
「おいナンジョウ、これなんでタコサラダっていうか知ってるか?」
以前、その身を削って仕入れた知識を後輩にひけらかそうとしてきたのだ。
おいおい…
お前、一回怒鳴られた分際で何を偉そうに語っとんねん。
お前もコイツに会うまで知らんかった身分やろ。
見てたぞ俺は
てか、こっちは大体分かってたわ。
タコスの意味やろなおもてたわ。
ほんでまず、知ってた程やめい
「俺も知らんかってんけどさー」入りで喋れや。
後輩の前では少しでも格好をつけたいらしい。
だが、そこが逆にダサい。
しかもどこか憎めない。
そんな山本さんという男の悲しくも笑える1つの物語。
彼のこういった天然ぶりが、うちのレストランのムードメーカーを担っているのであった。