かるたの聖地でかるた愛を叫んだけもの
と、あることから、私は正直この1年ほどは競技かるたについてあまり前向きにはなれず、騙し騙し過ごしてきました。
漫画「ちはやふる」の中で、一時期太一くんが「札が真っ黒に見える」と語るシーンがあったけれど、まさにそんな感じで、私の目にも頭にも札が入ってこない。リアルでそんな時期を過ごし、取札も、読札さえも触るのがツライくらいの気持ちを抱えていました。
それでも世界は回り続ける。止まらずにどんどん走っていく。活動を縮小しようか…なんて思う自分とは裏腹に、子どもたちはどんどん成長し、気が付けばC級B級と上がり、そればかりかついにはA級が生まれ、会の子どもたちが団体戦で高校選手権に出るという、今までにないほどの結果が次々と聞こえてきました。。
予選の前に「団体戦に出られたら、近江に見に来て欲しいです!」と子どもたちから言われ「出られるならどこでも見に行ってやるよ!」と約束したら、子どもたちは本当に約束を果たしてくれました。子どもとの約束は、守らなければなりません。それが大人の責務というものです。
それで訪れた、今回の高校選手権。ここは、かるたの聖地。漫画「ちはやふる」で描かれた、みんなが憧れる舞台。
こういう形で来る機会なんて今後あるのかどうか分からないし、心が低速運転状態の私としては正直に言うと「これが終わったらある意味での一区切りかな」と思っていた所もあったので、せめてゆっくりとこの場の空気を楽しめたらそれでいいやと思っていました。
もちろん、頑張りたいと思っている子どもたちのサポートはするけれど、まぁ、そういう子どもたちの思いを守ってあげられればそれでいいかな、というくらいに思いながら、なかなか見られない高校選手権の景色を見に行ったのです。
……と、いうはずでした。
ところが、かるたの聖地はそんな私の心の奥底に眠らせようとしたものを、暴きに暴きまくってくれました。
かるたの神様がいたのだとしたら、多分ゴリゴリの攻めがるたなのでしょう。守りに入ろうとする私の陣地をこじ開けて、右下段の一枚札をズバッと抜いて来るのです。
開かれた自分の中には、かるたに対する愛情、情熱、欲望といった大きな感情があって、自分で意識しないうちにそれらが全開放されてしまいました。
たくさんのかるた人と出会って、私の中からそんな感情はあふれにあふれて、あぁ、私、こんなにもかるた大好きじゃん?って思ったわけです。何を今更、という感じなのですが、ホントに、自分でも驚くほどに、私はかるたが好きだということを、かるたの神様の前で叫び続けていたような気がします。
そして、私の中にある熱い思いを、優しく受け止めて聞いてくれた人がいます。それは私にとっては憧れ中の憧れといえる人でした。
夢の中で過ごしてきたんじゃないかと思うくらいの2泊3日ですが、その熱は私の心の中に確かな温度を持って残り続けています。
よく考えたら、私、守るの苦手じゃん?敵陣ぶっ◯す!くらいの勢いで行くのが私のスタイルじゃん?
かるた人としての自分が自分らしく在れば、それでいいじゃないの。
そんな謎の吹っ切れ方して帰ってきました。かるたの聖地、恐ろしいですね!(笑)
「しぱらくお休み気味かな〜」じゃねぇのよ。逆に、今までがお休みしてただけだよ。そろそろ起きてもいいんじゃないかい。
一つの世代の一区切りを迎えて、ここからまた新しい世代のスタート。私も私らしく、かるたバカを発揮していくこととしますかね。
ありがとう、子どもたち。
ありがとう、高校選手権。
ありがとう、かるたの聖地。
そして、ありがとう、かるたの神様。
またここから、私の一歩を始めます。
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