笑いのカイブツを観て思った事(感想であり私見もあります)
先日、映画館で「笑いのカイブツ」を観てきました。
自分もラジオに投稿しているいちネタ職人として今回の映画に興味を抱いていました。
主人公のツチヤさんという人を存じていませんでしたが。出していた番組を見ると
まさしくエリートコースを歩んできたと思いました。
そしてツチヤさんが「カイブツ」を思うのがネタの作る量です。
何千本も作る制作能力には脱帽するしかありません。
言い方いいのか悪いのかわかりませんが、気の狂うぐらい作れる能力は凄いとしか言いようがありません。
自分も1日に何千通、何百通も送ったことありません。汗
彼自身も放送作家として歩んだ道のりは大変だったと思います。
コミュニケーション能力に欠如していた。確かにネタを何千本も投稿できるのに弱点(?)があった。
ツチヤさんも、色々と苦労されたかと感じました。ドキュメンタリー映画を観ていたかのようなアレでした。
そんな自分は、ハガキ職人として目覚めたのが21歳の夏でした。
就職先が内定もらってそこから始まった職人人生。もし、職人人生が
5年ほど早かったら多分、自分もツチヤさんのように作家か芸人になっていたかもしれません。
21歳で自分には、こういうスキルがあったんだと思った夏。
だけどそこから芸人になろうとか放送作家になってその世界へ行こうと思うこともありましたが。
多分、自分には無理だと感じました。何故なら自分は常に笑いのホームランが打てない事を自覚していたのです。
当時の自分がラジオを聴き始め投稿していたときの目標が。
「ラジオ局へ行ってパーソナリティとラジオブースにいる事。」でした。
これが叶ったのも30過ぎてからでした。最初は声優さんのラジオ番組からスタートして
そこから芸人さんのラジオにも投稿。巡りに巡ってradikoプレミアムで
全国のラジオ番組にも投稿しているのが今の自分です。
笑いのカイブツを観て思ったのが、自分は芸人や作家を目指さなくてよかっった。と観終わってからの率直な感想でした。
自分は大喜利が得意なわけじゃありません。かといって何かにずば抜けた能力はないと思ってます。
売れている芸人さんや放送作家さんみたいにずば抜けた能力がないと、あの世界ではやっていけないと察しています。
ネタ職人のあるあるなのかわかりませんが、聴いている番組で採用されると嬉しさに自信を抱いてしまいます。
特に人気お笑い芸人さんのラジオ番組で競争率が高いところでは尚更と思います。
そこで名声をあげて活躍するネタ職人もたくさん聴いてきました。
自分もラジオ大阪でやっていたジャルジャルさんの番組でも何人かいました。
彼たちは私より数段、大喜利の能力は優れていました。読まれた数も多かったです。
他のラジオ番組でも名前を聴いてました。彼たちがプロの芸人になったのは知ってます。
ただ大喜利がうまいからと言って売れるとは限りません。確かに大喜利はうまいかもしれないが。
それだけでは無理だというのは知っているはずです。ラジオ番組で活躍しても
所詮は「井の中の蛙」です。戦っているバトルフィールドはラジオの中です。
プロになれば対ラジオリスナーから「対世間」になるのです。
そんな自分ですが、10年前にジャルジャルさんのラジオ番組の罰ゲームで
後藤さんとラジオで漫才をしました。しかも生放送でラジオブース内で漫才を。
人生で一番緊張しました。ネタ台本も自分が作ってネタ合わせも某カラオケボックスで
後藤さんとちゃんとネタ台本をしっかり作り込んで漫才を作っている時に
お笑い芸人さんの真剣さとネタ作りの大変さを肌で感じました。
この時に自分は、お笑いの奥深さというか難しさを痛感しました。
結果とすれば多くのリスナーから面白いと言われました。
後も先にも漫才をやってません。映画の話から自分の話になってしまいましたが。
結局は、あの世界へ憧れを持つことは悪くないと思います。だけど
あの世界へ行くには相当な覚悟も必要と思います。たとえ人気芸人さんの
ラジオ番組で常連だろうが。なんだろうが。プロになって売れるとは思うなよ。
自意識過剰になるんじゃないよって思いたいです。過去に、そういった人を見てきましたから。
でもね、笑いのカイブツを観て自分はつくづくおもろいおっちゃんでよかったと。
普段は仕事をして、その合間を縫って投稿している身分。
大喜利バカにならなくてよかった。なったらなったでそれしかない人と思われてしまう。
だったら気楽にラジオへ投稿している方が、どれだけ気持ちが楽です。
あっ、かなり長文かつ乱文になってしまった。(;´・ω・)
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