憧憬
木漏れ日が零れる木の陰で、鳥の声を子守唄にしながらウトウトしていました。今日は人間の獣のような匂いもしないし、小物の動物が喧嘩している声もしないし、いい昼寝ができそうです。
ふと何かの視線を感じ、うっすら目を開けると、あなたの顔がすぐ近くにありました。口元から少し生臭い匂いがします。小鹿が数匹とれたようでみんなでパーティーをしているそうで、私もどうかと誘いに来たようです。私はみんなで何かを食べることが嫌いです。命を奪い同じ血肉を分けて自分の栄養とするという行為を、どうしていとも簡単に誰とでもできるのか、人生を奪って己の人生を活かすということは、奪われた個体の命に見合うだけの人生を歩まなければならないという呪いに縛り付けられることと同義であって、一緒に何かを食べるということは、その呪いをかける瞬間とこれから永遠に苦しむ様を見届けてもらわなければならない儀式なのです。誰かが何かを食べている、口に運んで噛んで飲み込んで、それを繰り返して、という行為を見ると、胸の底から込み上げる嫌悪感が口から溢れて思わず嘔吐しそうになります。
そんな私の感情が見えたのか、あなたは笑いながらあとで胡桃を分けてあげると言いながら、私の寝癖のついた頬をひと舐めして戻っていきました。昔の私だったら心臓が飛び出るほどドキドキして今晩は今の瞬間を何度も思い出して寝れなくなっていたでしょうが、もうそんな風に喜べなくなり、それが大人になったというのか、擦れてしまったというのかはわかりませんが、ただまた黄金色に変わった木漏れ日を浴びながらさっきの顔を思い出しては苦しい気持ちになって、それでも声を荒げ泣いてあなたを困らせることもできないから、顔を尻尾に埋めて目を閉じることしかできないのです。
この世のすべては承認を得るために作り上げられた主観です。そのため、考え方も価値観も、迷いも選択も感情も全て虚構です。自らが心臓と脳みそに従って作り上げたのではなくて、周囲の反応を見てドーパミンを出すために作り上げた紛い物です。誰しもそうです。例外はありません。俺は周囲の声なんか気にしないんだ、自分のために選択したんだという選択も、結局はその“自分”という部分に他人の評価が含まれているのです。
そうだとすると、生き物というのは、己など存在しなくて、すべて環境が作り上げた、中身が空っぽの他人の評価の詰め合わせパックのようなものです。この型がいくらで売れるか、年齢が上がる度によく視覚化できるようになり、それと同時に値段をあげようと必死になります。生まれつき型が良くて、そのため恵まれた他人評価を手に入れて生きていく個体がいる一方で、歪んだ形の型をもってしまい、陰口、罵倒、同情によって作られた嫉妬の詰め合わせパック個体も存在します。誰かによって作られたそいつの主観で、また誰かの主観が作られます。
そんな光景であふれかえった世界を見るのが馬鹿らしくて、集団から離れる時間が増えました。この木漏れ日の木陰はあまりほかの個体が来ないお気に入りの場所です。トカゲやリスなどもここによく訪れますが、彼らは私より下位の存在のためいないのと同様です。すぐに自分の尺度で優劣をつけ自分より下等な生物を見下し、上位の存在へ媚び諂うという多くの人が持つ醜い価値観を、例に漏れず私も持っています。しかし、この考えも結局は環境に作られた偽物です。それならいっそのこと、考えていることすべてが、この森林のあまりにも澄み冷たく突き刺すような空気に混ざって、誰かを刺してしまえばいいと思いました。
あなたのことがとても好きです。でも、私のことを理解してくれるから私のことを好きというわけではないし、他の人よりも労力を費やしてくれるわけではありません。あなたがとても人懐こくて誰にでも人気があることは知っています。それを感じていちいち胸を痛めては批判して、またしばらくして話して楽しくて惹かれての一人芝居を繰り返すのも疲れました。私は結局は自分がかわいいので、複雑な私ちゃんをわかってくれるあなたが好きなのであって、本当は私のことを理解できていないけど聞き上手なあなたに魅せられて一人で勝手に舞い上がっているだけかもしれません。あなたの行為の一つ一つに特に意味がないことも分かっていますから、ひどく悲しい感情だけ沸き上がり、近寄ることを恐れた悲しさで恋慕を抑え込んで、空虚に包まれることしかできないのです。べらべらと自分のことを話す自分を思い返してひどい嫌悪感に襲われ、空っぽの胃袋から逆流してきた胃液を嘔吐しました。
夜にふと目が覚めました。何かが私を呼んでいる気がして、寝ている兄弟たちを起こさないようにそっと寝床から抜け出します。夜の森は大きな闇に包まれた中でたくさんの個体が姿を見せないまま蠢いているのを感じるため、昼間とは違いかなりの怖さがあります。私ももう子供ではないですが、一人で深夜に巣を抜け出すというのは怖く経験がありませんでした。霧がかかっていて視界が狭く、微かな月明かりしかないのに、しかし脳みそはどこに向かうかもわかっていないのに、足が動くからそれにつられて私の体は進んできます。自分の足音と呼吸音だけがやけに大きく鼓膜に響いて、鼓動が早くなっていくのにつられて私の四肢も早くなっていきました。どこからするかわからない微かな甘い匂いが鼻を突きます。姿を見せない虫たちの声や夜行性の動物たちの声が私を祝福しています。木々の間隔はどんどん狭くなっていき、ところどころに体をぶつけながら、それでも全く痛みなど感じず、ただだらしなく舌をだし涎を垂らしながらどこへ行くかもわからぬまま進んでいきます。梟の鳴き声が、この先はいけないよと注意喚起をしているように聞こえましたが、その制止すら心地よく感じます。
甘い匂いが強くなり、動物たちの応援も佳境を迎え、興奮しすぎてくらくらしながら、いつの間にか走っていた私の視界が途端に開けて、私の足も制止します。微かだった月の光を前面に浴び、眩しさに目を細めます。湖がありました。川は知っていますが、湖は初めて見ました。川のように簡単に渡れそうにありません。どこまでもどこまでも深く暗いをしており、少しの風でも揺られて静かに波をたて、一瞬でも触れられれば波紋を広げる様が、こころを表しているようで、しばらくぼんやりと水面を眺めていました。もっと前に出て真下をのぞき込んでみると、自分の顔が鮮明に映りました。鼻をつけてみると、波紋が大きく広がりました。こんなにしっかりと自分の顔を見たのは初めてです。その水面の中の自分が、私の目をじっと、ただひたすらに見つめてきます。その瞳に吸い込まれるように動くことができなくなり、これまでの人生も価値観の変化も心模様も、すべて見透かされているような気がしました。周囲の主観が作り上げた紛い物の人生を生きることに何の意味があるのかと問いかけてみると、ただじっと欲望や邪念などない澄み切った瞳でまっすぐに私のことを見ていました。
ふと、捨ててしまえと声が聞こえました。周囲を見てみても、誰もいません。今度は別の声が聞こえました。やめてしまえ、と。お前を傷つけて歪めたすべてを捨て去り目覚めよ、この世は偽物なのだから。さっきまでしていた甘い匂いが非常に強くなり鼻孔を伝って脳を刺激し、声はどんどん増え大合唱のように響き渡っていて、それらで私の頭は朦朧としていきました。水の底は全く見えず、ただひたすらに深い黒でした。その闇がおいでおいでと、私を手招きしているようでした。家族とか大切な誰かとか、今までの人生を思い出そうとしましたが、甘い匂いと声と深い闇色に遮られ、何も考えられませんでしたが、やっと何も考えなくていいのだと、安堵感に包まれました。足元も覚束なくなり、視界もぼんやりしてきました。もうなにも億劫なことはないのだと、安心した途端に、どこまでも深い深い闇に引っ張られて、私の体はただ落ちていきました。
水面に反射する揺れ歪む月だけが残っていました。
私という存在を文字に変化することで私を保っている。もう一人の自分を文章で作り上げることで依存心を閉じ込めている作業だ。それでも誰かやどこかに寄りかかりたくなって失敗することを繰り返して、またこんなくだらない文章が生まれるのだ。こんな何番煎じかわからないようなことをしていても、自分を特別だと思いたいのがまた厄介なものである。価値観の披露は承認欲求の露呈なのだから、それに裏付けされた趣味も行動も選択も他人のための偽物だ。話し方も顔も声もそうだ。
しかし私は価値観の大放出であるこの文書を他人に読ませている。これで私の自身に対する地獄のような嫌悪感と引き換えに、誰かが不幸になってほしいのだ。