お題電車 (叔母のそら似 1)
電車
急遽、実家に戻るため私は、電車に乗ることになった。予定してなかった帰省のためお金がない。仕方なく、鈍行列車で帰る。
鈍行列車なんて夜行バスに比べたら余裕すぎる。そんなことは、当たり前か。
夜行バスは狭い空間に押し込められ、7時間以上乗らなければならない。自分で決めた行き方だとしても、罰ゲームだと思う。まぁ、稼いでない自分に対する世間からの罰ゲームか。笑えねぇ。
でも、過ごしやすい夜行バスだってあるもん。時間の無駄もないし、いいと思うよ。夜行バスって。
でも、安い夜行バスってなんであんなに椅子が硬いんだろう。安いからなんだろうけども。
鈍行列車に揺られながら、どうでもいいことを考える。
懐に余裕があれば、特急電車に乗りたい。本数も多いし、椅子は鈍行列車に比べて柔らかいし、席の幅も広い。
でも、鈍行列車にも安い以外でいいところはある。鈍行列車は特急電車に比べて時間帯によって風景が変わるところだ。そんな気がする。朝はちゃんと朝だし、昼は昼だし、夜は夜で、深夜もちゃんと深夜もって感じだ。自分の存在している時間帯が分かるのは少し安心感があったりする。
私は今、日曜の午前に電車を乗ってるとか、今日は有給で平日の昼間に活動してるとか、仕事に向かっているとか。仕事がある時は憂鬱でできれば乗りたくもないけど、時期や時間を体感できるのは好きだ。
車がなければ、歩くか公共交通機関を使わないと移動ができない。当たり前だ。
私の公共交通機関に乗る時のモットーは『民度高く』を心に掲げに乗っている。
人があまりおらず、空いている時は堂々と乗るけど、混む場合は1人分の空間に全てが収まるように荷物と私を詰めて座る。狭いなぁとは思うが苦ではない。それよりも「あの人、1人で2人分の座席を使っているわ……」と赤の他人に思われる方が苦だ。そんなことを思われてもその人とは二度と会わないのは分かっているが、他人の目が痛い。だから、今日もぎゅっと1人分の座席に詰め込み座っている。
狭い中でも私が少しでも快適に過ごすために1つ気をつけているのは、通路側には座らないことだ。隣の人の降りるタイミングを気にしたくない。寝たいし。ぼーっとしたい。
寝たい時はなおさら、通路側には座りたくない。頭の支えを自分で作らないといけないからだ。基本的に電車に乗る時の姿勢は自分のかばんを腕で抱え込み前に体重をかけるように寝るかもしくは窓か壁に体重をかけて寝る。1つでも眠る体勢のパターンを増やしたいから窓側の席に座る。
実家に帰る時は、窓側の席にぎゅっと詰めて座るが私のいつもスタイルだ。
夜行バス程ではないが、長時間座っていなければならない。私の電車での過ごし方は、窓の外をぼーっと見ながら、音楽をかけ過ごす。他人と同じ空間に居たとしても、イヤホンをつけ、私の好きな音楽をかければプライベート空間のできあがりである。
音楽をかけながらぼーっとするなんて、なんて贅沢なんだ。とか思いつつ、眠りの体勢に入った。
寝る体勢に入るとなんで隣の席って埋まるだろう。駅に着く度に隣の人が入れ替わることだってある。
今日だって、すぐに隣の席が埋まった。マナーの悪い人以外、私の隣の席はウェルカムだ。別に私は嫌な気はしない。あと、公共交通機関だし。
最近、電車の中での過ごし方に悩みがある。それは、鈍行列車に乗って寝ることができなくなった。どこでも寝れるというのは若者の特権なんだろうな。寝るのにも体力がいるって言うのを実感する。
ウトウトはするけど、爆睡までできない。疲れすぎてたら寝れないみたいな感じだ。電車の中なんて寝れてなんぼなのに。
何駅が過ぎて、隣の人がいなくなった。と思ったらまた埋まる。隣の席の様子を感じる。次こそは寝る。絶対。
次の駅についても寝れず、その次の駅に着いても寝れない。
隣の人が降りても寝れず、寝ることを諦めた。
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